思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

特に脈絡もなく思い出した割には別に軽くもない話

真実を伝えることって大事だと思うんですよ。

2,3年前、おじいちゃんが亡くなって、その数年前におばあちゃんが亡くなりました。その時家族と意見が食い違ったことがあって、おばあちゃんの死をおじいちゃんに伝えるか否かということ。まぁわたしは絶対に何があろうと伝えるべきだと主張したし、父もそう言った。しかし母と姉と兄は違って、伝えるべきではないと主張した。

あちらの言い分も理解できる。その時からおじいちゃんも先は長くないと分かっていたし、それならおばあちゃんが亡くなったなんて悲しい事実は闇に葬ってしまおうと。そして悲しみのないまま大往生を迎えさせてあげようと。

理解はできる。理解は。しかしそんなのは到底許せない憤りが確かにわたしの胸にあった。知る必要のない真実、それはある。家族でも友人でもない、ましてやかかわったことすらない人の訃報を聞いて何があるか。しかし身内、それも夫婦。ショックで寝込んでしまうだろうとか、こんな時にそれを聞かせるのは酷だろうとか、それは言い訳。わたしたちは気を遣っているんだとかも言われたけどそれも言い訳、気を遣うとかそういう次元の話ではない。人生の半分を分けた人が既にこの世を去っているにもかかわらず、その真実を知らぬまま亡くなった祖父をわたしは心から憐れだと思っている。

お葬式の日に母は笑顔で

「もしかするとおじいちゃんは知っていたのかもしれないね……」

と言っていたが「は?」である。

これはわたしのエゴなんかなぁ……。いろいろな状況はあっても、こういった家族内での出来事なら、たとえ何があろうと真実を伝えるべきだと思うけど。面倒な事情なんてない、感情だけを見ればいいんだから。もし真実を伝えて精神的な悪影響があったとしても、本人に知りたくなかったと罵られたとしても、真実を伝えない理由がどこにも見当たらないよ。知らないまま死んでいくことほど憐れなことはないと思うから。

と、偶に思い出しては後悔のような気持に囚われる。