思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

『神の国の魔法使い』感想

いきなりですが,どうしてこんなにも素晴らしい作品を今まで放置していたんだという気持ちでいっぱいです。続き気になるから完結するまで……は正しかった。実際あそこで止められていたら行き場を失った心が彷徨っていたかもしれない。しかし完結したところで「まぁめんどいしあとでいっか」はダメ!! 目の前に,魂があるから!

 

過去の作品とその先

そんなこんなで想像を絶する作品でした。まず私の好きな要素として,「時を超える想い」,そしてそれに付随する人の肥大化した感情,そういったものがある。そういうものにはすこぶる弱い。それを直球寸分の狂いなく投げてきたのが本作,神の国の魔法使い。しかも一度や二度ではない。本作を語るにあたって,私は何度か考えていることがある。ねこねこソフトの過去作である『Scarlett』と,きゃべつそふとの『さくらの雲*スカアレットの恋』とテーマを地続きにし,その先を目指す物語なのではないかと。これらの作品は,日常と非日常の境界線,そして未来へ託す人々の想いといったものがある。

前者については現代を舞台にして表社会に生きる人間と,裏社会に生きる人間の差異を日常と非日常という表現によって非常に巧く表されていた。それが本作神魔法に対して地続き的にテーマが使われたように感じたのだ。雑にだが,本作について説明をすると,ある日日本へ旅行でやってきた兄妹が偶然見つけた神社で謎の魔法陣を見つける。そしてそれは過去へ通じる道だったのだ,という感じ。この場合において日常とは現代であり,非日常とは過去を指す。しかしながらこれは読み進めていくうちに若干の違和感を覚えざるを得ない。というのも,現代は現代で戦争という火種を抱えており,主人公たちは安寧が欲しい,だからこの過去に留まる,というようなことを口にする。なるほど,現代といえど日々なんらかの危機はあり,そういった意味では同じであるのだと。すると疑問が生じた。私は過去と現代の差異において,日常に存在する危険の量であると考えていたためだ。だからこそ,私はここで考えを改めた。Scarlettの地続き的作品であることを変えるのではない。本作は地続き的でありながら,その本質のみを保ったままそれ以外の殆どを別のものに置き換えたのではないかと。ゆえにこそ日常と非日常というものにおける本質的な要素は「価値観」である。生きる場所が,時代が,社会が違えば,その人の持つ価値観は大きく変化し得る。その,「日常」とやらと比較して。そういう意味で過去の世界は主人公たちにとってまったく違う価値観の世界であり,そこに身を置けば彼ら自身も,変化し得るのだろう。

そして後者,未来へ託す人々の想いについて。『さくレット』においては必ず残すから,私たちが生きた証を,という前提として強い想いの下成り立っていた。しかし本作において過去と現代の行き来は難しいものではなく,何かあるごとに現代へ戻ることがあった。そこで最終的に下された結論は「未来はそう簡単に変わるものではない。特に,人が一生をもってしてもたどり着けない,千年などというあまりに大きな時間の下では」ということだ。これに関しても『さくレット』を思い出すことがあった。つまるところ『さくレット』における過去とは100年前の大正時代であり,本作における辛うじて人間が干渉可能な未来という点で見ればこの100年という歳月はまだ現実的であり,作中で自分たちの痕跡を残すと自信満々に言った彼女らは決して不可能なことを言ったわけではなかった。事実として彼女らの痕跡は現代までしっかりと残り,『さくレット』の主人公である司のもとまでしっかりと届いていた。だが,本作の目指すところは1000年も先のことであり,やはり,到底人の身で到達し得る境地ではなかったのだ。曰く,

「音楽家は消えても……私の中では,今も曲は生きている」

らしい。面白かった。確かに,作者を知らないのに作品を知っている,ということは往々にしてあり得ることであるし,なにより,この世に存在するありとあらゆるものに関して始祖と呼ばれる存在は必ずいる筈だが,我々はその多くを知らずに過ごしている。たとえ個人として,名を残すことができなかったとしても,作品は,道具は,概念は残る。それらが生きた証として後世の人々に賞賛されることがあるのであれば,それはきっとどうしようもなく嬉しくて,月並みな言葉で言えば,すごい達成感なのだろうと,心から思う。結局のところ,100年以上先の未来に名を残すには,それこそ国家規模でないと難しいのだろう。けれど,何か微細な,ちょっとした変化であれば,きっとなせるはずだ。なぜなら,音楽家の名は残らなくとも,きっと,曲は残るから。

このように,すでに私の心に大きな杭を打ち込んだ2作品から似たようなテーマを感じ,その時点で大きな期待はしていた。ただ,『Scarlett』という作品は先述の通りねこねこソフトの過去作であり,これがこのような形で関連性を感じるのであれば,それ以外の過去作も同様なのではないか,という不安は常に付きまとう。そのためいつかまた,過去作をすべてプレイした状態で本作について考えたいと思う。

 

魔法使いという虚構

本作ではタイトルにもあるように,魔法使いという言葉は非常に大きな意味を持っている。つまるところ過去の人々には現代で使われている常識や道具はさながら魔法のようであり,それを用いて村を良くしてくれるのであればやはり,主人公らのことを「神の国の魔法使い」と呼んで差し支えないのだろう。しかし,この魔法使いという言葉にも種類があった。その点,主人公は,自分とその妹のことを「ただの魔法使い」と呼び,過去で出会い,途中から共に過ごす家族となったサツキのことを「本物の魔法使い」足る存在,といった。それは「現代知識/道具」を「魔法」であると信じているからであり,それらを単なる現代知識と道具を魔法であると考えてしまうネイティヴの現代人には決して到達できない存在であった。ある意味サツキには本物の魔法使いたる資格の魔法がかかっていて,それを解除するのは簡単,これらは魔法ではない,単なる知識と道具であると理解すればいい。その瞬間から本物足り得たサツキもただの魔法使いであり,もう,その魔力は残っていなかった。それはつまり,現代人たるもっとも重要な価値観をサツキに教えるということであり,それは歴史,たとえどんな知識や道具があろうとそれは「すごい知識/道具をお持ちなのですね」というだけの話であり,それだけで現代人足り得ない。その存在をその存在たらしめるのは歴史だけなのだ。

 

全体として

非常に好みの作品であったことは確かだ。先に言った通り,私自身の好みを真っすぐ貫き,またテーマ的に見てもなにかすごいことを言ったわけではない,ただそっと,私の心に触れられたような,そんな感覚があった。優しく,ゆえにこそ,この作品は言葉に内在して,私を包み込んでくれるのだと思う。敢えて言えば,本作を読み終えたあとに言葉という存在が無粋で仕方がなかった。このやさしさに,言葉など必要なのであろうか,そう思えてならないのだ。しかしそれでも,私は本ブログを書くことで,また一つ私が作品を読んだという痕跡にしたかった。

最近はノヴェルゲームという媒体から少し離れていたため,若干始めるのが億劫であったが,やはりノヴェルゲームという媒体については,こと展開において他の追随を許さない,だからこそこの深淵にオタクが集まるのだと再確認した。この深淵の溜り場を,どうかこれからも継続させてほしいと切に願うのだ。

最後に,改めて素晴らしい作品でした。本作のテーマについてはすでにふれたように,また展開に関しても完成度は高く,加えて私好みのものであったため,若干の贔屓目で見てしまうかもしれないことを許してほしい。

 

 

点数:100/100 文章:7/10 味:苦味,塩味,若干の甘味

『ハッピーライヴショウアップ アンコール!!』感想

えっちげーむ筋が鈍りすぎた。だからこの作品を終えるだけでもこんなに時間がかかってしまったんです。

ということでハラショウアンコール。前々から楽しみにしてた作品だった筈なんだけどな~~~。まぁ実際作品自体は面白かったです。悪いのはなにもかも鈍り切ったあたしのえっちげーむ筋……。許してほしい,いや,許さないでほしい。来年はいっぱいやるんだから。

 

各キャラクターのアフターストーリーについて

とは言ってもちょっとした小話とえっちシーン一つで終わりなので特に話すことがあるわけでもないのですが,ちょこちょこ書き残しておきたいことがあったので適当に。

それがカーレンティアについて。彼女は前作から続き,作品内でも屈指のキャラの濃さで本当にこの作品だけで終わらせてしまうのがもったいないと思えるほどに良いキャラクターだった。実際私もカーレンティアというキャラクターはお気に入りであったし,短いとはいえ彼女とのその後を見れただけでも本作をプレイしてよかったと思える(ただえっちシーンでお尻の穴に指を突っ込んだのは本当にやめてほしかった……)。

次にクラリスについて。これに関してはカーレンティアほどキャラクターが濃いとかそういうことでもないのだが,またまたえっちシーンについて,最後に口淫のCGがあって,それが本当に綺麗だった。間違いなく今までプレイしたえっちげーむのえっちCGランキング作っても上位に来る程度にはよかった。

 

ミヤビについて

これがなければ始まらない。前作でのミヤビルートがあまりにも味気なさ過ぎて最初これが前作の続きからやっているということに気付かなかったことは内緒。

全体の流れとしてはハラショウ無印にて最後まで魔法の世界に戻ることのなかったアキトが再び魔法を手に取るまで,という話。無印で散々焦らされてきたので実際にアキトが魔法ショウに出たときの感動はひとしお,体から熱いものが溢れてきた。しかし無印であんなにも魔法に関わることを拒否していたのに,どうして今になって……という気持ちもあり,実際にそれは作中でソフィーも似たような気持ちを抱いていたようで,若干の私的な気持ちを交えてアキトに言っていた。しかし結局のところソフィーはアキトが今更ということよりも,ポカポカを失って何者かわからなくなっていた自分と同じ立ち位置にいるアキト見ていた。「普通」であると諦めてただ一度の特別をかみしめていた。もともと周りには特別な人が多く,ソフィーにとって刺激はあったのだろう。そこで極めつけにアキトが特別になってしまったのだ。

この作品において,メインのヒロインはミヤビではあるが,どうしてもテーマ的に見てアキトとソフィーを中心に見ずにはいられない。アキトはポカポカを通じて魔法の楽しさを思い出し,前に踏み出した。ソフィーはそんなアキトを見て自信を見つめなおした。やはりどう考えてもこの物語の中心はアキトとソフィーであると思わずにはいられない。

 

 

 

点数:65/100 文章:5/10 味:甘味,若干の塩味,若干の旨味

『乙女ゲームのヒロインで最強サバイバル』について

繋がりというものに,私は胸を抉られるような痛みを覚えることが度々ある。

本作,乙サバはかつて心を共にした同志との約束,そして決して断ち切ることのできない血の繋がり,そういったものをとてもよく表せていた。

現代日本の記憶を保持する者,そういった人間はこういった作品では当然のように存在しているが,本作においてそれは主人公ではない。主人公であるアーリシア,およびアリアは孤児であり,ある日偶然自分を襲ってきた転生者から記憶を引き継ぐ。つまるところアリアは転生者の記憶は持っているものの,決して転生者ではなく,純粋にこの世界をリアルと認識して生きている人間である。そんなアリアと,また同様に純粋な子の世界の生まれであり,かつ現代日本の記憶も持っていない王女エレーナ。彼女らが約束を交わした日は,未だ小学1年生程度の年齢でしかなかったとしても,確かな覚悟をもって私の心の楔となった。

結局のところ純粋な転生者,ストーリーの進行に関わってくる者としては2名いるが,彼女らにとってはこの世界が乙女ゲームの世界であるという前提がある以上,ある種おままごと的な認識はたとえ自身の命がかかっていようと捨てきれなかった可能性がある。少なくとも私がそういった認識を抱いたうえで,先の話に戻るが,曖昧な意味としての「世界の理解」を得た二人の覚悟はやはり格別なものがある。

「ならば,”同類”の同志であるアリアよ。私は王女として,あなたがどんな立場にいようとも,すべての力を使って,一度だけあなたの”味方”になることを誓うわ」

「なら,私は,同志であるエレーナの望むまま,相手が誰でも……たとえそれが”王”でも,一人だけ必ず”殺す”と誓う」

 

 エレーナの言葉は,一度だけ王に反逆して処刑されることになっても,私を助けるという誓いだ。

 だから私は,彼女が望むのならどんな危険があろうとも,それがこの国の王でも,たとえ”魔王”でも,絶対に殺して見せると誓った。

 

「一つだけ……あなたの本当の名前を教えて」

「……あなたを呼び捨てにしてもいいのなら」

 私がそう返すと,エレーナは今更だけど少しだけ笑った。

「アーリシア」

 私が本当の名を風に乗せると,エレーナはそっと頷く。

「……さよならアリア。そして私だけのアーリシア」

「さよなら……エレーナ」

 

エレーナは後ろを向き,一度も振り返ることなく部屋の中に消え,私もそれを無言で見届け,テラスから音もなく姿を消した。

 

出会って間もない,数週間の仲でありながら,二人は互いを知り,決意の約束をした。幼少期という認知も乏しい期間,そのたったこれだけの時間が一生に関わるほどの出来事だった。このきっと精神の浄化を促すであろうきっかけはあまりも私の心を抉る。刹那的な出会いであれどその時間は濃密で,私にとっても,彼女らにとっても大きな比重を占める出来事だったのは疑いようがない。

そんなアリアには,もう一つ決定的な出会いがあった。それがカルラだった。私を殺して,そんな衝撃的な約束を交わした二人の関係は唯一の友人とも思える。しかし幼少期より家族に実験動物的な扱いを受け続け,また身体の虚弱ゆえに常に痛みを感じるカルラはむしろそれこそがコミュニケーションの手段であったのかもしれない。ただ,カルラの認識がどうあれ,一般人的感性を持つ一読者としては印象に残らざるを得ないと感じる。いつかカルラを殺す,それが彼女の望む約束の形だったとしても,助けたい,そう思うのは冒涜だったのだろうか。

しかしどうあれ,アリアは二人との約束を果たすために生きて,強くなっていった。そういう意味で,アリアの強さは才能や努力といったものだけでなく,血をかけた決意を伴った意志は確かに人を強くする。

これらの約束は一度世界に絶望したアリアにとって,かけがえのない人との繋がりとなった。だからこそ,アリアがメルローズに戻りたくない理由はかつて貴族を避けていた彼女の気持ちとは違っていたのだと思う。祖父の顔を見て血のつながりを感じ,祖母から出た母の名に感慨を覚えた。あれだけ好きだった両親をアリアが忘れる筈もないが,今の今まで両親については殆ど思い出すことはなかったが,それもそのはず,今まで既にいなくなってしまった両親よりも大切なことは山ほどあった。アリアには,生きるうえで大切なものがたくさんあった。

でも,それでも,私は血の尊さを感じさせる描写に涙せずにはいられなかった。

メルローズの騎士たちは前を走る“少女”を複雑な心境で見つめる。
自分たちがたった三人に圧倒された“不死者”という
怪物を、真正面から殺していく少女……。
城勤めの者なら、彼女のことを『王女の懐刀であるランク5の冒険者』であると知っている。実力のない者ほど彼女を侮っていたが、ある程度の力量があれば鑑定などしなくともその実力を測ることができた。
まだ成人前の少女が、“竜殺し”と讃えられるほどの力をどうやって手に入れたのか?
だが、メルローズ家の騎士……特に古くからいる、辺境伯の末娘を見知っていた者たちは、その実力に畏怖するよりも、その髪の色と顔立ちに既視感を覚えずにはいられなかった。
その中の最も古参の騎士は何かに突き動かされ……かつて主の愛娘で、いなくなってしまった女性の背を追うように、不意に彼女の所まで馬を進ませ、桃色髪の少女に声を掛ける。
「......レイトーン嬢、この先にメルローズ家の屋敷が見えて参ります。侍従の話ではすでに反乱軍は迫っている様子。ご注意なさいませっ!」
アリアはそんな騎士の言葉に頷くように応え、彼らの主人と同じ翡翠色の瞳を前方に向けた。
「障害物は排除する。あなたたちは真っ直ぐに屋敷へ向かって」
「ハッ!」
王女の側近とは言えただの男爵令嬢。ただの冒険者
ただの少女.....だが、その古参の騎士は、自分の娘よりも幼いその少女に自然に敬礼を返してしまったことを、不思議とも思わなかった。

一度,決定的に違えてしまった道であっても,その尊き血によって繋がりを生んだ。

しかし一度違えた道が,近づくことはあっても完全に重なることはなかった。ゆえにアリアは自信をメルローズ辺境伯に「冒険者のアリア」であると伝えたし,また公の場でもアーリシアと公表するときを除いて冒険者,および王女の護衛として振る舞った。アリアの人生において大部分を占めるのは冒険者として強さを求め必死に足掻いていた時間であり,今更貴族に戻ろうなどとは到底不可能なことであった。その点,同じ冒険者であるフェルドの存在は作中でそういった言及をされることはなかったが,大きかったのではないかと思う。アリアはたびたびフェルドのことをお父さんみたいと言っていたし,頼りになる兄貴感もあり,また出自も貴族でありながら後継者争いを避けるために冒険者になったという,過程は違うが結果的にアリアと似たようなものだった。少し強引な表現かもしれないが,似た者同士という点を感じて,ちょっとした安心感を覚えていたのかもしれない。

アリアの人生は,作中で語られた部分は時間で言えば本当に部分的なものでしかないが,濃度は一生分だ。これこそがアリアであり,それは私の信奉する血の繋がりであって断ち切ることは叶わないものだ。

本作は一貫して,約束の成就と血の絆しについて描かれていると感じた。約束の成就は今更語るまでもなく,アリアの強き意志を強固に補強した。血の絆しは,その実絆しというほど強いものでもない。本作において私が感じたのは血の繋がりの象徴的強靭性。決して離すことができないわけではない。しかし完全に断ち切ることは困難。自らの意思で離すこともできるが,前提として人の内側へ象徴的な印象を残す。それは良くも悪くも人の一生に付きまとうものであり,本作においてはアリアへの想いとともに深く杭が打ち込まれた。

これらはすべて,心に杭を打ち込まれ,最終的に精神の浄化という形で清算される。しかしそれでも,ただ私の内側にあるのはエレーナとカルラとの約束,そしてメルローズの者たちへの深くも浅い不可知の感情である。

 

 

点数:84/100 文章:6/10 味:旨味,塩味,苦味少々

『イザナギ伝承』感想

いやぁ、思いがけず良い作品に出会った、確かにそう思える作品だった。本作は知人からの勧めで気が進まないながらも手に取り、偶然にも直後気が進んだのでプレイするに至った。しかし最初、最序盤の時点では正直悪い印象の方が強かったと言わざるを得ない。というのも、この作品、最序盤から「なんかよくわからんが難しそう」な話を延々とし続ける。加えて文字がひじょーーに読みづらい。

実際に画面を見てもらえればわかりやすいと思うが、このように何故か文字を置くスペースが画面全体の4分の1程度しかない。一応設定を見てはいるが、恐らくこれが固定。そのため先述の小難しい話も相まって冒頭から辟易としてしまう人は少なくないだろう。

ただ、本当にそれは最序盤に限った話。私の場合結構早い段階で本作の纏う物語に引き込まれた。伝記モノ特有の異様さ、そういったものに対してどうしてという感情を向けるのは至って自然なことだが、本作も例に漏れず興味深い設定に関心を引き付けられてやまなかった。はじめはもっとも単純、主人公が来た村は現代とは思えないほど前時代的な価値観を持つ者たちがいた。しかしこれについては少し疑問が残るところがあった。文明の利器を恐れる素振りすら見せており、その時点では本当に文明から遠ざかった暮らしをしているのだなと思わせられたのだが、その後かなり現代的な田舎の商店街といった趣の建物の背景が表示された。一応シナリオ上は少し前(具体的にいつからだったかは忘れた)から外の人間が少し住んでいるという話ではあったので、もしかすると彼らがやったのかも……と思いつつも流石に商店街という規模は無理では……と、結局これについてはよくわかりませんでした。終わり。

こんなことを話したいわけじゃなくて、本作では読み進めるごとにこの村が神々の伝承から色濃く影響を受けているということがわかってくる。その過程で過去にその伝承に振り回され、悲惨な出来事があったということも。ここで、この時点で、伝承という曖昧な存在が少しずつ、現実味を帯びてくる。伝承が実在するか否かはさておき、この村では確かに伝承が信じられており、村人はそれを主軸に生活をしている。この秘匿された村を暴くという構図はやはりいつも私を興奮させてくれる。

されど本作の物語としての性質はそうではないようにも思える。作中終盤にて、村の人間は神の血を継ぐ者たちであることが判明した。また、主人公である澤田も神、イザナギの血を継ぐものであった。つまるところこの村は神の村であり、過去に村を襲撃した軍の者は神を襲った罰当たりということになる。そして純粋な神(?)によれば、

「まだまだ人は完全には堕落していませんでしたね」

「神の血を引くものも息づいている」

「まとうか千年」

明確な描写が存在しないので憶測にはなるが、このことから察するに穏便な終末のワルキューレってことです。多分。

今更ながら、村で封印されてたのってこの神々のことでいいんだろうか。このあたり結構流して読んでしまったのでちょっと把握しきれていない。まぁ、とりあえずその前提で話を進める。

巫女である宇美は神々を封印していた。そのことが最後まで明確な理由として語られることはなかったが、封印の先、そのまま消滅させてしまおうという算段だったのだろうか、しかし堂本からの邪魔を受け、仕方なしに封印を解く……と。しかし結果として神々は人を価値なしとみなすことはなく、また大宅湖村からも去っていった……筈。いや本当にごめんなさい。流し読みが多かったうえに明確な描写が少なかったので本当に曖昧な情報でしか喋ってないです。

というわけで結果的に大宅湖村を襲撃するに値する理由、つまるところ神の力は現状すでにその場にはなく、一応の平和が訪れた……という認識。作品全体として、弱き神と強き人間との対立構造が主な要素であるのだと思う。これが本当に好き。そういう意味で人の醜さであるとか、またそれとは別の人間らしさであるとか、そういったものがより一層強調されていたように見える。しかしながら本作においてそれらを知るための一助である心情描写が正直雑であるを言わざるを得なかった

例えば碧というキャラクターは出会いにおいてかなり拒絶の意志を示していて、仲良くなるまでは幾分か時間のかかるものだと思っていた。それなのに用事を終えて戻ってきた澤田の腕をつかみいきなり笑顔を見せた。こういった具合に心情が突然変化したと感じる描写がかなり多かった。中でもえっちシーンについてはその傾向が強く、「入れればいいんだろ?」みたいな声を感じずにはいられなかった。特に澤田の友人である橘と美琴の関係はその最たるものだった。初登場時、立花はポケットに手を入れ後ろ姿を映す形で映っており、いかにもなカッコよさを醸していた。

↑コレ この時点、クールなキャラクターなのだろうな、と私は理解した。そして立花がこの村にとどまっていた理由も、美琴に惚れたから、というもの。私はああ、そういえば澤田も村で暴漢に襲われたことがあったな、橘も同様の状況になり、美琴に助けられたか? と思いました。ええ。しかし立花が言ったことの初めは橘が美琴を襲ったというものだった。???? こいつすました顔で何やってんの??? 時代的な性、特に襲うことに対しての気持ち的なゆるさ、そもそもとして本作にはそういったシーンが多い。そのような事情を差し置いても流石におかしい。これで美琴に惚れたって、どの口がとしか思わないんですがただやっぱり男視点での愛というものは基本的に性愛に帰結するのだろうか、みたいなことを考え始めるとライター的には別におかしくはないんじゃないかとも思えてどこまで否定すべきかわからなくなってくる。ただ本作において一番違和感を覚えたところではあるので一応の言及はしておきたかった。

 

全体として、違和感を覚えるところは正直多かったものの、シナリオ自体かなり興味を惹かれるもので、実際期待には概ね応えてくれた。後半駆け足になっていたというのも理解できるし惜しい部分の一つだと思うが、ライターが本作において描きたかったもの自体は一応描き切れていたのではないかと思う。

旧時代から続く弱き神と強き人間の諍い、強き神々からすればとるに足らぬ出来事であれど、当事者にとっては重大な問題である。そして力という観点で見れば弱き神も所詮は人であり、また愚かであった。決して強き神に逆らうことはできず、本作において強き神の弱さが露呈することはついぞなかった。しかしそれが、弱き神と強き人間が手を取り合うきっかけとなることを祈る。

 

 

最後に、やべー髪型Tier1の女

 

 

 

点数:72/100 文章:6/10 味:苦味、塩味

『dROSEra ~レディバッドエンドの初恋~』感想

紫音さん、綺麗だ……。

ということでdROSEraです。本作はHOOK系列の新ブランドTillyの処女作ということで、まぁそれなりに話題になっており、かくいう私もかなり注目している作品だった。というのも、まずメインヒロインのヴィジュアルが最強。白く少し大きめでかつゆったりとしたリボンをつけた服、全体で見ても少しゆとりを感じさせるデザインは非常にかわいらしく映る。それでいてこの髪色、正直なところ私は銀髪と白髪とではかなり差があるくらいには白髪の方が好きなのだが、今回ばかりは実に英断であったと感じる。単純な話、恐らくこのキャラクター、紫音さんには服の色合い、デザイン含めて銀髪の方が似合う。それに彼女自身のミステリアスさ加減もよく輝かせていると思う。

というような具合で、キャラクターについてかなり刺さった。この時点で勝ち確だろと思っていたが、本作のサブタイトル、『レディバッドエンドの初恋』というもの。これだけでやれバッドエンドだハッピーエンドだを話すのはなんとなく察しがついていた。これについて、そもそも私は安易なカテゴライズが好きな人種だ。普通のカテゴライズはどちらかというと苦手だ。そして厳密なカテゴライズは嫌いな場合が多い。ただ、この話をする前にはっきりとさせておきたいのが、この厳密という言葉は学術的正しさであるとか、そういった社会的に正しさを一定以上認められた厳密という言葉とは縁遠いものであることを留意していただきたい。これは大衆的な厳密さ、それは厳密であってなおもっとも安易なものであると認識している。

本作において、バッドエンド及びハッピーエンドという言葉は先の大衆的厳密性に則った言葉として安易に使用されているものだった。当然、物語の根幹をなす要素の一つであるから、これなくして本作を語ることなどできないのだが、これがどうにもしつこいほどに感じられてテーマすらもまだうっすらとしか感じられない序盤に関しては少し不快に思えてしまった。

しかしテーマが見えてくればなるほど、面白いテーマだった。敢えて本作をカテゴライズするとすれば物語を利用した恋愛劇、一瞬物語的物語の要素があるとも思ったが、物語という存在が決して外部からはみ出ることがなかったため、そうではないと感じた。本作の物語とは内部に押し込め、人間という究極の内部的存在と融合させる、といったものである。こう変な言葉を使ったが、要するに物語と人の心を並べたというだけの恋愛模様にすぎない。とはいえこの要素で見ても少し人と物語のずれというものはあるが、正直敢えて言及するほどでもないのでスルー。

本作の流れとしては、理想、物語の押し付け合い、それによって進行する。二人は作品中盤あたりからうっすらとすでにお互い惹かれあっているのではないか、そう思える描写は何度もあった。互いの理想がそれを邪魔した。中でも何より重いのが都合の良い関係でいようとした制約、すなわち唇へのキス。他のどの部位へキスをしようとも決して唇だけはと。そのやりきれなさ、もどかしさは作品として短いため感情の育成がままならない中でも確かに感じることができた。

極めつけはラストを飾る選択肢。ここまで二人はバッドを、ハッピーを、押し付け合ってきた。そこで出るのが旅立つ紫音さんへ最後に贈る物語。ハッピーエンドか、バッドエンドか。前者を選ぶということは今までと何一つ変わらず、しかし桜太郎らしさを保ち、きっと幸せな一生であるのだろう。後者を選べば、それは安易に自分を捨てたということにほかならず、実際この選択をすると取り繕ってはいたものの、失望の感情は見えてしまっていた。どちらを選んでも結局紫音というキャラクターに心から落ちるには足りなかった。

だからこそRESTART。正直短い尺でこれをやるのはどうかと思うところもあるが、索引自体は面白いので許容範囲。とはいえこれが現代的なニーズと言われればそれまで、そういう意味で本作はおすすめしやすい作品であると言えるのかもしれない。

このRESTARTを経ることである程度紫音というキャラクターの内面が可視化され、ちょっとしか感情の浄化に繋がるということがあるかもしれないが、それ以上に先述の唇へのキスという行為の重要性、それをこの作品という範囲内でどれだけ重要であるかが再確認できた。そして物語が続いていく。という名のエンド。テーマ的な絡みとして、この演出は実に粋なものであると感じた。どちらのエンドでもない、どちらかに傾いてしまえばそれは対等ではなく、本作において紫音と桜太郎の関係は決して傾いたものではいけなかった。どっちつかずというのは言い換えれば中途半端とも言えてしまうが、その中途半端がもっともよく均衡を保つことのできる結果であったのだと。

 

その他、えっちシーンがとても良かった。特に喘ぎ声に頼らず地の文でエロさを表現されていたことはそれだけで個人的にポイントが高い。まぁ、ヒロインの性質上地の文が疎かであったというだけで手のひらクルーしてたかもしれないのだが。

加えて唇の塗りがひっじょうに良かった。それだけでキャラデザの点数20点加点!w

いやほんとに、これ他のメーカーでも導入してくれないかなぁと思った。本当に唇がえっちだった。これによって紫音というキャラクターのデザインが完成されたものであることが確認できる。

 

 

点数:72/100 文章:6/10 味:甘味、苦味少々、酸味少々

『天使騒々 RE-BOOT!』感想

ようやく終わった……。プレイ開始してはや2か月、この大作をついに終わらせることができた。妾(わたし)はこの作品をどう評価すればいいのだろう。

……正直、あんま面白くなかったなぁと、思いました。全体として、悪い意味でのゆずソフト的な展開が目に付く。いわゆる中途半端なシリアスというやつ。話の素材は悪くなかっただけにこれをもっと時間をかけて丁寧な展開にしていれば妾(わたし)の本作に対する評価はまた違っていたものになっていたのだと思う。例えば来海、青紫髪のルートでは、彼女の前世であるスレイをある種神格化する団体によって魔王の転生後の存在である主人公の命が狙われるという展開があった。もともと来海ルートに関しては悪くない印象を抱いており、ここまでの流れについてもこのまま綺麗に終わってくれれば全然良いままで終わることができた。しかし先述の中途半端シリアスはここで効いてくる。主人公は相手に対して対話で和解を求める。これはいい。いくら魔王としての前世があろうが、現代に一般人として生まれ、成長してきた以上暴力に訴えかける方が不自然というものである。問題はここから。主人公は自身が無抵抗であることを示し、対話を求める。これがまぁ結果的に成功するのだが、なんともあっけない。たとえ信仰する来海、もといスレイの説得があったとはいえ、世界を渡るという作中の説明曰く決して楽ではない行為をした。その行為のリスクは覚悟と同義だと妾(わたし)は思っている。それがこんなにもあっけなく終わってしまうことに対して疑問は尽きない。

一旦過去作の話をするが、やはりサノバウィッチが現在も高く評価されているのはゆずソフトであるということを抜きにしても単純に作品自体のクオリティが高かったのだと再確認することができた。先の中途半端なシリアス、これを削ぎ落し、別れという最大の山場を見事描き切って見せたかの作品は当然良い作品であってしかるべきであったのだ。

本作の大きなテーマの一つであるファンタジー要素、ここまで話してきたようにもっと何かできることがあったのではないかと思わずにはいられない。本作は作品における設定の性質上過去起きた出来事がまわりまわって現代に影響してくる。過去本ブログでも何度か言っているような気がするが、妾(わたし)はこの展開が大好物です。知的生命体が未来へ向かって自らの遺志を遺すということは妾(わたし)の心を揺さぶるには十分な力を持っており、それは軸となる過去と未来への道筋における障害が多ければ多いほど燃え上がるというものだ。それは本作で言うところの世界間の壁であったり、普遍的に用いられる概念としての時間が挙げられる。だからこそ、結果として好きとは言えない作品となってしまったが、やりようによってはその評価がひっくり返ることすらあり得た作品であった。

やっぱり中途半端シリアスが悪いよ中途半端シリアスが。というか、一つの展開を変なところで切り上げるって行為自体が悪だよ、本当によくないと思う。

 

 

点数:62/100 文章:5/10 味:甘味、比較的薄味

『けもの道☆ガーリッシュスクエア2』感想

……改めてこの皇はねるという人間の豪胆さに驚くばかりな作品でした。

いややっぱおかしいって、エロゲ的な奇抜さというのを差し置いても、流石にこのえげつない角度……否、”””覚悟”””のハイレグは街中どころか身内だけの室内にいてもビビるわ。それが外を出歩き、ステージに立ってアイドル活動をする……。地下アイドル事情はよく知らないのでそんなことなかったら申し訳ないんですが、ステージは観客席よりも数段高いですよね。……これ、観客、特に最前列らへんの人には一体皇はねるの何を見てしまうのだろうか。公然わいせつだぞ! これがまさかの地下どころじゃない規模のステージに立つなんて誰が想像できただろうか。つくづく、面白い作品だぜ……!

はいということでゲけもの道ガーリッシュスクエア2です。いやー楽しみだったなー楽しみすぎて昨日必死でサクラノ刻の感想文書き上げたくらいには楽しみな作品でした。

いやぁ、前回どんなとこで終わったっけな。プレイ直前そんなことを考えていました。ただまぁ、竜姫と違って二股三股を気軽に許すような世界観でもないなと思って前作からはねるてとらん関連のことは一旦さようなら^~ってなってるのかなって思ったんです。実際作中でそれについて明確に触れられてる部分って多分なかったです。なので最後の方まで確信を持つことができなかったのですが、恐らくこれ、前回のはねるてとらん関連のこともなくなったわけでもないんですよね。まぁ考えてみればそりゃそうだ。竜姫の人がライターやってて同じような作品ラインだもんな。そう、前回のあれこれはそのままである。

そう、この主人公、

別になんでもないですって顔しながら自分のプロデュースするアイドル全員と肉体関係を持っているのである!(まぁ前作なくとも今作だけで全員分のえっちシーンはあるんでどっちにしろなところある)。前作で申し訳程度とはいえ浮気云々の話が出たので今作の異様な貞操観念には少し違和感ないっすかね……? キャラクターごとに個別ルートかってくらい他のキャラクターが視界に入らないのも相まってやだなにこれ、すっごい爛れた関係だ……。これにはけもスクに熱烈な愛を捧げていた大河以外のファンたちも涙目。まぁ知らないので通常目。

ただまぁそうは言うものの、ところどころに割と笑えるネタを入れてきて、えっちシーンは絵が好きならしっかりえっち。普通によかったなぁって、感じました。

 

点数:62/100 文章:5/10 味:甘味