思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

『乙女ゲームのヒロインで最強サバイバル』について

繋がりというものに,私は胸を抉られるような痛みを覚えることが度々ある。

本作,乙サバはかつて心を共にした同志との約束,そして決して断ち切ることのできない血の繋がり,そういったものをとてもよく表せていた。

現代日本の記憶を保持する者,そういった人間はこういった作品では当然のように存在しているが,本作においてそれは主人公ではない。主人公であるアーリシア,およびアリアは孤児であり,ある日偶然自分を襲ってきた転生者から記憶を引き継ぐ。つまるところアリアは転生者の記憶は持っているものの,決して転生者ではなく,純粋にこの世界をリアルと認識して生きている人間である。そんなアリアと,また同様に純粋な子の世界の生まれであり,かつ現代日本の記憶も持っていない王女エレーナ。彼女らが約束を交わした日は,未だ小学1年生程度の年齢でしかなかったとしても,確かな覚悟をもって私の心の楔となった。

結局のところ純粋な転生者,ストーリーの進行に関わってくる者としては2名いるが,彼女らにとってはこの世界が乙女ゲームの世界であるという前提がある以上,ある種おままごと的な認識はたとえ自身の命がかかっていようと捨てきれなかった可能性がある。少なくとも私がそういった認識を抱いたうえで,先の話に戻るが,曖昧な意味としての「世界の理解」を得た二人の覚悟はやはり格別なものがある。

「ならば,”同類”の同志であるアリアよ。私は王女として,あなたがどんな立場にいようとも,すべての力を使って,一度だけあなたの”味方”になることを誓うわ」

「なら,私は,同志であるエレーナの望むまま,相手が誰でも……たとえそれが”王”でも,一人だけ必ず”殺す”と誓う」

 

 エレーナの言葉は,一度だけ王に反逆して処刑されることになっても,私を助けるという誓いだ。

 だから私は,彼女が望むのならどんな危険があろうとも,それがこの国の王でも,たとえ”魔王”でも,絶対に殺して見せると誓った。

 

「一つだけ……あなたの本当の名前を教えて」

「……あなたを呼び捨てにしてもいいのなら」

 私がそう返すと,エレーナは今更だけど少しだけ笑った。

「アーリシア」

 私が本当の名を風に乗せると,エレーナはそっと頷く。

「……さよならアリア。そして私だけのアーリシア」

「さよなら……エレーナ」

 

エレーナは後ろを向き,一度も振り返ることなく部屋の中に消え,私もそれを無言で見届け,テラスから音もなく姿を消した。

 

出会って間もない,数週間の仲でありながら,二人は互いを知り,決意の約束をした。幼少期という認知も乏しい期間,そのたったこれだけの時間が一生に関わるほどの出来事だった。このきっと精神の浄化を促すであろうきっかけはあまりも私の心を抉る。刹那的な出会いであれどその時間は濃密で,私にとっても,彼女らにとっても大きな比重を占める出来事だったのは疑いようがない。

そんなアリアには,もう一つ決定的な出会いがあった。それがカルラだった。私を殺して,そんな衝撃的な約束を交わした二人の関係は唯一の友人とも思える。しかし幼少期より家族に実験動物的な扱いを受け続け,また身体の虚弱ゆえに常に痛みを感じるカルラはむしろそれこそがコミュニケーションの手段であったのかもしれない。ただ,カルラの認識がどうあれ,一般人的感性を持つ一読者としては印象に残らざるを得ないと感じる。いつかカルラを殺す,それが彼女の望む約束の形だったとしても,助けたい,そう思うのは冒涜だったのだろうか。

しかしどうあれ,アリアは二人との約束を果たすために生きて,強くなっていった。そういう意味で,アリアの強さは才能や努力といったものだけでなく,血をかけた決意を伴った意志は確かに人を強くする。

これらの約束は一度世界に絶望したアリアにとって,かけがえのない人との繋がりとなった。だからこそ,アリアがメルローズに戻りたくない理由はかつて貴族を避けていた彼女の気持ちとは違っていたのだと思う。祖父の顔を見て血のつながりを感じ,祖母から出た母の名に感慨を覚えた。あれだけ好きだった両親をアリアが忘れる筈もないが,今の今まで両親については殆ど思い出すことはなかったが,それもそのはず,今まで既にいなくなってしまった両親よりも大切なことは山ほどあった。アリアには,生きるうえで大切なものがたくさんあった。

でも,それでも,私は血の尊さを感じさせる描写に涙せずにはいられなかった。

メルローズの騎士たちは前を走る“少女”を複雑な心境で見つめる。
自分たちがたった三人に圧倒された“不死者”という
怪物を、真正面から殺していく少女……。
城勤めの者なら、彼女のことを『王女の懐刀であるランク5の冒険者』であると知っている。実力のない者ほど彼女を侮っていたが、ある程度の力量があれば鑑定などしなくともその実力を測ることができた。
まだ成人前の少女が、“竜殺し”と讃えられるほどの力をどうやって手に入れたのか?
だが、メルローズ家の騎士……特に古くからいる、辺境伯の末娘を見知っていた者たちは、その実力に畏怖するよりも、その髪の色と顔立ちに既視感を覚えずにはいられなかった。
その中の最も古参の騎士は何かに突き動かされ……かつて主の愛娘で、いなくなってしまった女性の背を追うように、不意に彼女の所まで馬を進ませ、桃色髪の少女に声を掛ける。
「......レイトーン嬢、この先にメルローズ家の屋敷が見えて参ります。侍従の話ではすでに反乱軍は迫っている様子。ご注意なさいませっ!」
アリアはそんな騎士の言葉に頷くように応え、彼らの主人と同じ翡翠色の瞳を前方に向けた。
「障害物は排除する。あなたたちは真っ直ぐに屋敷へ向かって」
「ハッ!」
王女の側近とは言えただの男爵令嬢。ただの冒険者
ただの少女.....だが、その古参の騎士は、自分の娘よりも幼いその少女に自然に敬礼を返してしまったことを、不思議とも思わなかった。

一度,決定的に違えてしまった道であっても,その尊き血によって繋がりを生んだ。

しかし一度違えた道が,近づくことはあっても完全に重なることはなかった。ゆえにアリアは自信をメルローズ辺境伯に「冒険者のアリア」であると伝えたし,また公の場でもアーリシアと公表するときを除いて冒険者,および王女の護衛として振る舞った。アリアの人生において大部分を占めるのは冒険者として強さを求め必死に足掻いていた時間であり,今更貴族に戻ろうなどとは到底不可能なことであった。その点,同じ冒険者であるフェルドの存在は作中でそういった言及をされることはなかったが,大きかったのではないかと思う。アリアはたびたびフェルドのことをお父さんみたいと言っていたし,頼りになる兄貴感もあり,また出自も貴族でありながら後継者争いを避けるために冒険者になったという,過程は違うが結果的にアリアと似たようなものだった。少し強引な表現かもしれないが,似た者同士という点を感じて,ちょっとした安心感を覚えていたのかもしれない。

アリアの人生は,作中で語られた部分は時間で言えば本当に部分的なものでしかないが,濃度は一生分だ。これこそがアリアであり,それは私の信奉する血の繋がりであって断ち切ることは叶わないものだ。

本作は一貫して,約束の成就と血の絆しについて描かれていると感じた。約束の成就は今更語るまでもなく,アリアの強き意志を強固に補強した。血の絆しは,その実絆しというほど強いものでもない。本作において私が感じたのは血の繋がりの象徴的強靭性。決して離すことができないわけではない。しかし完全に断ち切ることは困難。自らの意思で離すこともできるが,前提として人の内側へ象徴的な印象を残す。それは良くも悪くも人の一生に付きまとうものであり,本作においてはアリアへの想いとともに深く杭が打ち込まれた。

これらはすべて,心に杭を打ち込まれ,最終的に精神の浄化という形で清算される。しかしそれでも,ただ私の内側にあるのはエレーナとカルラとの約束,そしてメルローズの者たちへの深くも浅い不可知の感情である。

 

 

点数:84/100 文章:6/10 味:旨味,塩味,苦味少々