思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

人生を舐めてるという近況報告

早いものでもう7月、夏休みの時期である。無論、わたしに受動的な意味合いでの夏休みなんてものは存在しない。欲しけりゃ勝ち取れ! なんてサヴァイヴァル的な生活をしているわけではないけどまぁ、夏休みってのは能動的に手に入れるものなんだよ。

わたしはねぇ、今まで真面目にやってきたけど勤勉な性格ってわけじゃない。寧ろその逆だったから真面目でいられた。だからフォロワーの学部生たちが呑気に夏休みを満喫してて自分は研究室に籠りますって状況はどうしても許しがたい。いやまぁ、「もう学部生じゃないんだから」と言われるのは目に見えてるわけだが。

結局わたしは人生舐めてるんですよね。とはいえそんなこと言われたのは人生でも母と父くらいですが。割と何とかなるだろ的な楽観思考で生きてきて大体うまくいってしまったからそういう考え方が染みついてる。嫌なことあってもまぁ大丈夫だろって、何とかなるだろって思ってるんですよ。で、実際なんとかなると思うんですよね。だってなんとかならないなんて欠片も思ってないしなんとかならないと思う要素がないから。

それでも大丈夫かな……と心配になるイヴェントが始まってしまうわけですが。うん、就活。順調にまともな思考を重ねれば来年就活だ。途中気の迷いや狂ってしまったりしたら「進学」すると思います。でも今んとこ就活説がわたし的には濃厚というかそれ選んでほしい。変わった経歴持ちたいっていう願望は結構あるけどリスクに見合ってないよねって。別に親にずっと養ってもらってもいいんだけどそれだといつ財源が途切れるかわからないし申し訳ないし何より世間体的にまずい。それと、これについては確定なんですが実家暮らしは継続したいので、それを肯定する要素としてそれなりに高収入でいたいというのがあるのね。因みに研究者という線は割と最近になって消えつつある。研究も勉強も好きなんだけどそこまでの熱意は持てないかなぁ。そもそも研究も勉強も得意ではないのでそれ専門にしちゃうと普通に死ぬ未来が見える。こういう時自分のバカで無能な頭にはほとほと嫌気がさす。

話は変わるけど最近こうやって自分のことをバカだ無能だと自虐する理由について簡単に考えていた。答えは意外にもすぐに出た。ふと頭に浮かんだ言葉だったけど妙にしっくりと来たのでそのまま採用。自虐の加虐性、わたしは何度も言ってる通りこれらの自虐は心からの本心で言ってる。それでいて無駄なプライドの高さを自身でも感じることはある。その結果が自虐による相手への加虐というものだった。まぁ言ってしまえば「弱い者いじめ」ってこった。何故なら自虐によって発生する加虐は下のものにしか発生し得ないから。わたしより上位に位置する人がわたしの自虐を聞いたところで「そうだね」としかならないし。逆に下位に位置すると自分でコンプレックスと言えるほどに認識している人には効果覿面だろうと。まぁわたしのTwitterのフォロワーは、わたしよりもずっと頭のいい人が多いから、意味あるのかって話ですがね(これについても本心)。なーんも、無駄。でもそれでいいんだと思うよ。無駄なことをしていたいんだ。今、それがわたしにとっての幸せの一片だからね。

「時間の浪費」という行為に至上の喜びを感じる性質でね、ゲームとかじゃない、ゲームも立派な時間の使い方だ。わたしの思う浪費っていうのは、本当に時間を無駄にするということ。ただ何もせずぼーっとしてるのも違う。わたしはそれで高校時代癒しを得ていた。根本的に、まったく無意味なこと、ある行為をしているのにもかかわらず、その行為が効果を発揮することはないと知っている、そんな時間。この世で最も大切な時間という”もの”を今、笑顔で捨てているんだ。お金をどぶに捨てるなんてのとはわけが違う、文字通り取り返しのつかない行為。これを数日、数週間、数か月、数年、或いはそれ以上経った後に後悔するのだろうか。きっとするんだろう。どうして、どうしてあの時あんなにも無駄な時間を過ごしてしまったのか! そこに快楽幸福愉悦、正の感情と呼べるものは一切存在しないんだろう。ただ一点、後悔を突き詰めた感情のみが渦巻くことだと知っている。まさしく未来の自分への自傷行為。更に弱くなっているであろう自分への加虐。

わたしは年々頭が弱くなっている気がする。知識だけが増えて、頭でっかちになってる気がする。わたしの人生のピークは中学3年生。すべてが光り輝いていた。素晴らしかった。だってあの頃の自分は、「頭が良かった」。今みたいな思考力の欠片もないカスじゃなくて、しっかりと考えて、自分の道を提示できる有能な人物だった。それは言い過ぎ。とはいっても今と比べればはるかに優秀だったことは確かな事実だ。わたしという人間を完成させるとしたらゴールはそこにあるんだ。でも、辿り着くためには時間が必要だ。なのに時間が過ぎれば過ぎるほど、ゴールは一層遠くなる。一秒たりとて無駄にはできない貴重な時間、それを何食わぬ顔で捨てる屑。それはある種悟った顔で、恰も遠ざかるスピードに、成長のスピードが追い付くことはないと言ってるかのよう。

そもそも、わたしは「成長」しているのか。知識の吸収ではない、頭がよくなっているか、成っていなかったとしても、その努力をしているか。答えは否、知識の吸収に尽力し、まるで自身の能力の向上に努めようとしない。

無理だと諦めて、せめて知識だけでも、最後に守らねばならぬ居城の門に立ち、鉄壁の如き守りだった。大層豪華な城でもあるまいし、どちらかと言えばみすぼらしい、守価値があるかも怪しい城、けれどそれは最後の砦であり、やはり守るべき、守らねばならぬ宝だった。