冬茜トム作品のネタバレあり(ここで語られるのは彩頃、あめぐれ、さくれっとのみ)。
はじめに
今回はちょっと趣向を変えて一人のライターに焦点を当てて記事を書こうかと思う。『まじかるちゃーみんぐ!』から『さくらの雲*スカアレットの恋』まで、現時点で発売されている彼の作品は全てプレイし終えたので、なんかいろいろ書こうという曖昧な志によってこの記事は書かれています。
言わずと知れた彼の名前。『もののあはれは彩の頃』で頭角を現し、『アメイジング・グレイス』で一躍有名に……だと思ってるんですが実際どうなんでしょ。まぁ私としては『アメイジング・グレイス』という作品の存在があまりに大きかったために現在の状況になった。テーマとシナリオ、そして作中の雰囲気、どれをとっても私の好みにマッチしていて、こんなの好きにならないわけがないじゃないか!
作品をプレイするだけでは到底足りる筈もなし。……なぁ、語らおうや……。私は話がしてぇ! 冬茜トムという私をして天才と言わしめるライターを! 多くの人を魅了してやまないその鮮やかなる技巧を!
常識と「常識」の対比による鮮やかな偽装
彼の作品に共通して言われているのが、「伏線回収がすごい!」ということ。どの作品でもいい、一回で終わらせずに二回目のプレイをしてみてほしい。真実を知ったうえで彼の描く物語を具に観察することで、きっと新たな発見がある筈だ。
それを手助けする要素としてすべての作品に共通することが、開始時に普通の世界とは違った場所にいるということ。魔法の世界だったり、双六の世界だったり、謎の壁に阻まれた世界だったり、100年前の世界だったり。それぞれの世界に「常識」が存在するが、それによって常識が通用しない場合もしばしばある。冬茜トムは、それを非常に巧く使う。そうやって読み手に無意識のうちにそれが当たり前のことだと認識させる。嘘つきはその言葉の中に真実を織り交ぜるとはよく言ったものだが、実際彼も一部の情報を除いて「常識」の範疇での出来事は明らかに「おかしいこと」だと作中では説明をしている。ただその一部の情報ですら伏線として(あとから見たら気付くレベルのものだが)事前に何度も匂わせることはしている。
例えば文字がないことに関しては事前に何度もそれを匂わせる文面はあったし、何より背景、立ち絵、CGその全てに文字が書かれていない。
だがそれに気づくことはできない。何故ならそう思えないようになっているから。抑も文字がないなんてこと、人間として生きてきて至る思考ではない。だからこそ真実の驚きは言葉で表し得るものではないし、今まで散々描写されてきた文字がないことを象徴する出来事がより印象的に輝き、全てが繋がって圧倒的なカタルシスへと読み手を導く。
過程がどうあれ終わりよければ全て良しってね?
彼の作品で名シーンと言われ思い付く限り言ってみそらし? 結構あるよなぁ? みさきの鬼縁発動した時とか、琥珀との別れとか、刀儀の名前発覚時とか、はたまたあめぐれならラストサクヤが泣いてるところ。そんでもってさくれっとはあの忘れがたき私を深淵に叩き落とした最高の別れ。はぁ~……思い出すだけで当時の情景が思い浮かぶようだ。彼が企画からシナリオまで手掛けた作品として最初の作品が彩頃だったのは半ば必然だったのかもしれない。彼の作品はありとあらゆるところで「縁」と「もののあはれ」が重要視されているように思える。「縁」は言わずもがな、彼の作品で伏線回収がすごいと言われるのはまさにそれだ。しかしそれではなく、「もののあはれ」が今回の主題だ。もののあはれ、古文で頻繁に目撃する単語だ。この単語の理解なくして古文の理解はなし、そう言えるほどに重要な単語だ。ちょっと話は逸れるがもののあはれについて話そうか。
昨今、古文は何の役に立つのかと言われ哀れな愚者どもの攻撃の矢面に立たされているが、その古文を学ぶ大きな理由の一つとしてもののあはれという感情を理解することがあると思う。何の役に立つのか? そんなのは知らん。もしかしたらそれを知ったところで実益は何もないかもしれない。それでいらないと判断するのなら私とは気が合わないな、消えてくれ(古文過激派 もののあはれという感情は日本人独自の、まさに誇り、受け継ぐべき感覚であると私は思う。その一端でも感じることができたなら、古文を学ぶ意義があったということだ。
因みに意味としてとある受験参考書にはこう書かれている。
(自然・人生など すべての物事に起こる)しみじみとした感情。情趣。
▶「あはれ」は季節の移り変わりなどを見てしみじみと感じる趣を言う。優美・繊細な味わいを内容とし、「をかし」とともに平安の女流文学以降、日本文学、日本人の日常生活の美的理念の根幹をなすものの一つとなった。
……正直これで「わかった」人がいるとは思えない。というかこの程度の説明で分かったと言われても困る(説明が不十分というわけではない)。
「花」を見てあなたはどう感じるだろう。もし何も感じないのであれば、古文的に面白くない人間だ。なればこそ、もののあはれという感情を真の意味で解することはできない。上記の表面的な意味での理解があなたにとって最も深いものになる。
一方何かしらの感情が芽生えるのなら、その感情について深く考えてほしい。何を感じただろうか。それは言語化し得るものだろうか。「綺麗」というたった一つの言葉で片付けられるだろうか。それもまた、人それぞれではある。おそらく「綺麗」という一言で片付けてしまう人はいる。私はそれらの人に対する振る舞いを知らない。だからここでは無視という形でしか振る舞うことしかできないことを許してほしい。本当に心苦し限りだが、何かの拍子に偶然知るということでしかこの感情を解するに値するものを得ることはできないと思っている。
さて、ここまで引っ張っておいてこんなことを言うのも無粋、まぁ上記の曖昧さからわかるかもしれないが、その感情に明確なものなど存在しない。実際どう形容すればいいかなどわからない。美しい、儚い、寂しい、趣深い、というように幾重にも重なる感情、そういったものを一言で表現する単語。それが「もののあはれ」である。今挙げたものだけである必要はない。ただ、代表的な感情で言えばこの辺りが妥当だ。
もう忘れてるかもしれないけど話を戻す。彼の作品にはもののあはれが重要視されている。その感情を知っている者ならば、暫くその感情を解すべく思索に耽る。その最たる例が、彩頃共通3、琥珀とあがったときのことだ。最近フォローした人も言及していたし、彩頃の感想でも触れたが、あれは素晴らしい。たくさんの犠牲を払って戻ってきた暁、そして共に勝ち残った唯一のパートナーは元の姿に戻り、言語能力を失った。お互いの愛は知っているのにそれを伝える術はない。加えて幼馴染が亡くなったという報告。それを淡々と述べる。「みさき、亡くなったって」。確かに哀しいけれど、そこに悲しさはない。彼女がそれを望み、自分と、そこにいる猫も、それを望んでいるから。あの時いた人たちは誰もいないけど、悲しくない。だってそこに、確かに存在していた証があるから。
これと似たような、と言ってもシチュエーションはだいぶ異なるものであるが、場面がさくれっとにある。所長との別れのシーンだ。司が元の時代に戻ったときには、もうみんな死んでいる。けれど、やはり彼も悲しくはない。生きる理由があるから。みんなが確かに生きた証があるから。所長と愛を囁きあった証を自分の目で見守り、何より彼女らが自分のために作ってくれたこの世界を享受しなければいけないから、嘆くよりも先に、前を向いて歩く。
これらの場面に於いて、単なる悲しみやという言葉では語りつくせぬほどに感情が渦巻き、私を慟哭の思索へと誘った。おもしろきこと、あはれなること、あはれ、いとかなしかりけることなり。
冬茜トムは、いいぞ……!
冬茜トムは、いいぞ……!
いいから彼の作品をプレイするんだよぉ! 全部が面倒なら彩頃あめぐれさくれっとだけでいいから!
それでも多い? でもやるんだよぉ!
ざっとその三作について話すと、キャラ映えの彩頃、技術のあめぐれ、シナリオのさくれっと。彼の技術が各所に盛り込まれつつ、シナリオも全体を通して良いのが彩頃。圧倒的な技術で我々を平伏させる、それがあめぐれ。前二作とは少し毛色が変わり、彼らしさが少し落ちているのがさくれっと。けれどシナリオが良い。実に良い。
私はあめぐれを間違ってもシナリオが良いに分類することはない(勿論めちゃくちゃいいんだけど!)。あれは飽く迄彼の技術の産物であるから。あの三作で比較した場合はシナリオ賞はさくれっと。それらのハイブリッドが彩頃。
なぁ、トム作品プレイしてくれよ? ここまで読んだんなら既プレイか興味あるけど……でしょ? なぁ、最高だから。8割9割の人は失望させないからさ……(どうも合わないって人もいるみたい)。
まだ描きたいことはあるけどとりあえずで書こうと思ったのが上の二つのテーマだった。だから気が向いたら追加は全然する。寧ろこの二つだけで彼を語りつくせるわけがないだ。面白さでごり押し系ライター、冬茜トム。みんなで推していこうな!
因みにあめぐれはPS4でも出てるから普段エロゲやらない人や未成年の人も安心してプレイできるね! わたしの最推しはあめぐれだから、やろうな!