思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

『QUALIA〜約束の軌跡〜』感想

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AIものを食す時、毎回考えるのが、AIは感情を持つことが可能かという問題。結論から言ってしまえば、私は不可能だと考えている。感情に限りなく近いものは全く問題なく作ることが可能だろう。しかしその裏にあるのは計算であり、感情と呼べるものは一切ない。作った時点でそれは作り物という思いも生まれる。だからAIに心があると認識させることがこの手の作品の課題だと思っている。本作はどうだったかというと、「心がありすぎた」「あまりに人間的」だったと思う。少し前にATRIという似たようなジャンルの物語を食した(物語の方向性は違うが)。それは心に関してどう触れたかというと、良くも悪くも王道な展開で、ある日心がないのかと主人公が疑う。その後事件が起こり、やはり心があったと確信するという流れ。この展開のいいところは王道を攻めることによって感情移入を容易にさせているという点。対して本作は日々の生活やふれあい、そういったものを大切にしている。人間同士の作品であればそれで全く問題ないのだが…どうもこの手の作品ではある種達観して物語を眺めてしまう傾向があって、これから来るであろう展開への布石なのであろうが、どこか退屈に眺めてしまう。

というのは、私の主観、好みの問題でしかないので、ここまでにする。一応こういう考えのもと、読み進めたということは留意してほしい。

さて、結論から言ってよい作品であったと思う。ただ、AIとは言うものの、そこまでその設定の必要性があったとは思えないとも思った。そこまで、なので別に必要ないといっているわけではなく。しいて言えば人間の命とアンドロイドの命。これらは決して交わらず、たとえ愛し合っていてもアンドロイドは取り残されてしまう。それを知り、アンドロイドは何を思うか、初めの画像の「私たちはあなたの成長を恐れません」が彼女らの答えなのだろうが。それ以外にも倫理的な問題、そして世間体。世間体は当人たちが気にしなければいいのかもしれないが、殊アンドロイドに関してはそうもいかないのではないかと思う。倫理的な問題とも被るが、まず恋人は自分で作ったアンドロイドだという事実、これは冷静に考えて問題しかない。恋人を‘‘造る‘‘。その言葉の異常性、それは「常識的に」受け入れがたい。

先に述べた「心がありすぎた」「あまりに人間的」というのは、作中アンドロイドであるマキナが思い悩むシーンが数多く見られたこと。思い悩むという行為は人間の感情特有のものであると思っていて、しかし同時に最初に言った私の考えもあり、その二つが相まって名状しがたいものに襲われた気がした。そこまでに様々な学習をしてマキナは感情というものを学習しているが、やはりそれは知識の吸収に他ならず、その程度で感情を持つことができるとは到底思ない。

ただ正直な話それについてはそこまで重要視しているわけではなく、一番はそれを無視できるほど感情移入できるかどうか。これに尽きる。感情移入さえできればどんな雑な設定でも無視できるからだ。本作がそれをできていたかというと、ある程度はできたかと思われる。なんだかんだで、あの退屈と言った日常もその手助けという役割を果たすことはできていたようだ。

時に、なまじ知識を身に着けてしまったライターがやりがちなのが、量子を物語に持ち出してくるということ。確かに量子というのは物語的に好都合な性質を数多く持つ。しかしだからと言ってそう頻繁に持ち出すような話題でもないし、何より量子を持ち出すのなら、物語に決定的なかかわりが欲しい。何度も言うが、そう軽々しく持ち出すレベルのものではない。本作は作中二度、量子もつれという形で登場した。それにはわざわざ、量子という言葉で説明するほどのことではないと感じるレベルだった。

 

全体として、不満点が多くみられた作品だが、ラストで少しウルっと来てしまったことも事実。悔しいが最初に話した通り、よかったとは思う。

 

点数:68 文章:普通 味:甘味、酸味、塩味、それと苦味ごく少量