思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

『虚構英雄ジンガイア』感想

 

ただただ素晴らしかった。特に作中複数回見られる山場における力は凄まじく、何度も血の気が引き、また涙を流した。加えて各Vol.のキャッチコピー? の扱いも巧く、これらはそれぞれのVol.での見せ場から抜粋してるのだが、「ああ、ここだったのか!」と毎回気持ちよくさせてくれる。

例えばVol.2では”「────私はここにいる」”というものだったが、これは作中家族の愛についぞ見えることのできなかった少女が自殺を図るというシーンでのセリフだ。事前にこの言葉を知り、一体どんな場面で使われるのだろうと考えていたため、強く印象付けられた状況でのカタルシスは一入。しかしながら私が最も印象に残ったのはこちらではなくVol.3の”「みっともないだろ……まったく、滑稽な話だよ。これが神の論理に挑んだ科学者の末路さ」”だった。Vol.3は最終章に突入する直前の章ということで、よくある形態ではあるが過去の話が話の根幹として取り上げられた。しかしながらその効力は絶大、原点の物語、それはいつだって我々の心を強く刺激してやまない。私たちがこの騒動に巻き込まれるよりも前、原点を辿ればたった一人の人間が始まりだった────なんてことをいつも考えてしまう。そういう意味で一番好きな章だったと思う。まぁ、実際このような章はこのあたりのタイミングで挟むのが良いとは思う。

本作の最初、prologueとVol.1なんかは、実のところそこまで面白くはない(以降の章に比べるとという意味。普通に面白くはある)。さらに言うと、私はprologueの本当に最初の部分、そこで一度本作を放置している。というのも、特に引き込まれる要素がなかったからだ。そこでVol.3のようなシナリオを展開しても結果は同じだろう。とはいえノヴェルゲームにおいて序盤というのは準備期間であることが多いし、その方がノヴェルゲーム特有の長さを生かしやすいと思うので、それを批判するのはお門違いだとも思う。だから今言ったことは忘れてくれ。寧ろそれでいて世界崩壊直後から普通に面白いという状態を続け、衰えることなく右肩上がりに面白くなっていったのは紛れもなくライターの力量を示している。日常パートや、会話の面白さ、そういったものは殆どなく、飽く迄展開による面白さというのもまた見事。そもそも本作に日常パートというものこそ殆どないと言って差し支えない。この長きにわたるの物語の大半を、そういった”見せ場”によって構成しているのだ。なればこそ私は本作のすべてがライターまきな氏による望むままの願望世界だったと思えた。

その中で一つ、面白いものがあった。これは氏の最新作『彼女系生命進化論パーフェクト☆ガール』についての感想等を聞いたうえでの思いなのだが、物語的テンプレートに対するアンチテーゼのようなものだ。その最たる例が虚構英雄の絶対性を高めていた「選択肢」である。作中、何度か選択肢が画面に浮かぶことがあったが、それらを実際に選択することはできない。飽く迄ハリボテ、単なる演出だ。しかしながら無論そういったものが出現する以上意味がある。「選択肢」は最終的に主人公神原英雄によってその存在を否定された。曰く人生においてそんなものは存在しないと。また、虚構英雄によればこの選択肢という能力は大層なものではなく、単純、後悔の力であると。思えば確かにセーヴ&ロードを繰り返していけばいいと思っているのでしょう!?(某ヒロインヴォイス)とは思っている。どのような形であれ、ロードするという行為は後ろを見ることに他ならなくて、このルートへの満足度があまりに高かった、そう思った場合他のルートに行けないという場合は往々にしてある。まぁこんなのは何気ない日常の行為に無理矢理意味を見出したに過ぎない。閑話休題、これは某作品と似たような選択肢に対するアンチテーゼ的な意識を感じる。他にもあったがスクショあさるの面倒なので割愛。

そういえば本作を私は単純なループものと思っていた時期もあった。勿論Vol.2の時点でずっとループするにはちょっと冗長になってしまうのでは何かと思ったが、まぁそんなもんかなと。それをまさかVol.2で壊してくれるとは思ってもいなかった。しかも事実はループではなく、時の流れは至って普通、ただ流れた時間が異常だったというだけの話。繰り返しているのではなく進んでいる。……その認識でいたのをさらに破壊された。本当に見事と言う他ない。

情報境界面という情報についてはなるほど確かに、誰しも──とまでは言わずとも、考えたことのある人は決して少なくないと思う。結局のところ本作は文学的科学概念に落とし込められた作品だった。結果的に名作、傑作となるような作品はこういった作風になることが多いと思うし、だからこそ少し、ほんの少しではあるがマイナスの感情が宿ってしまったことは否定できない。だがそういった表現、感情は普段の私の言動からして忌み嫌われるべきもので、自身でもこういった感情が出現してしまうことにはほとほと嫌気がさしてしまう。これは既視感と同一のものだと思っているし、こういった感情は根源的に普遍性の高い感情だとも思っているから、回避することも相応の難しさがあることは承知。それでもなお類似性や既視感による作品の評価は私は(場合にもよるが基本的に)不当であると思っているので避けたいというのが感情。とはいえ本当に少しだけだったので杞憂ではある。今回に限っては。

また、本作は全体を通して繋がりというもので何度も驚かされた。伏線がすごかったとか、そういうことを言いたいのではなく、作中登場した人物たちのすべてが綺麗に収束しているということだ。無論先刻取り上げたキャッチコピーのようなものも良いのだが、今は一旦置いておく。それは主に過去回想パートで出てきた人物がしっかりと虚構世界で登場している。逆に言えばそれだけだ。なんてことはない、しかしそれがとても気持ち良かった。加えて後に言及されたが、いない人物が要るということ。最も印象的だったのは池田信子。病院の院長も勿論そうだったのだが、如何せん印象が薄い。その点池田信子に関しては遺憾なくその過去、人、本事件への関わりを認知できていた。クローン計画を提言した院長も確かに重要な人物ではあるのだが、やはり印象は薄い。だから相田翔吾がいない人物について言及した際に池田信子の不在にばかり意識が行ってしまったことは院長先生には本当に申し訳ないと思っている。

話を元に戻すと、その時やはり背筋がぞわっとした。そうだ、何故彼女はいないのだろう。いや、実際はいるのだが、未だ会うことができないでいるのか、それとも彼女は黒幕の一人で、我々を陰からほくそ笑んでいるのだろうか。妄想はいくらでも膨らむ。これは事前に静と最川省吾の部屋の不自然性に気付いたことの影響が大きい。あれは結局最後まで引っ張られたが、それが緊張感を与え、良いスパイスになっていた。

それともう一つ、この作品にて避けては語れないのが神原麻衣の存在だ。はじめに死亡したような描写を見せ、そこで「怪獣」に襲わせる。恐怖に支配された英雄は当然逃げる。そこでジンガイアが助けに来て、「怪獣」を倒す。殺す。あとで振り返ってみれば実に残酷なシーンだ。中学2年生の心を持っている私は、このような狂気的な描写に惹かれてしまう。この事実を知った際には本作で経験した悪寒としては最も気味の悪いものだった。しかしだからこそ惹かれてしまう。作品から溢れ出る狂気的なオーラに。

故に私はこの作品に惹かれ、また神原大介の、アシュレイの、そして御子神京の心に惹かれたのだろう。三者性質は違えど根底に眠るは狂気でしかなく、どうしてそれを無視することができようか。

さて、ここまで書いて、私は途中までこの作品の主題は感情の浄化にあるとばかり思っていた。事実感情の浄化を促す場面はいくつもあり、そのたび私は絶頂に至った。しかしながら本作は飽く迄「いつか父親になる物語」であり、これらはその過程に立ちはだかった偶然の障害でしかない。

父親とは何か、それが唯一の問いである。神原英雄は弱者である。一方ステレオタイプな父親のイメージというものは強さを想像することが多いと思う。しかし神原英雄は弱者である。だが事実として父親というものは本作において強者として描かれていた。思うに、肉体的な強さではなく精神的な強さだったのだろう。いかにも、といった回答。それはテンプレートで、どこにでもよく聞く話だった。今まで散々虚構を弄してきた。その果てにあった虚構は、なるほどそこら中に偏在するありきたりな概念だった。最終的に行き着いた答えは、読者の頭を不格好な鈍器で殴ることだった。それは私の心に効きすぎた。気付けば涙を流していた。自身の息子のために時の牢獄に囚われることを自ら選択する人。それはたとえ親友が、親が、死に瀕していたとしてもできないと思う。きっと、これは自分が親だからできた選択。子供の将来を想い、自身を擲つ覚悟をもって、先に進む。これが本作で得た父親の正体だった。守るべきものすべてを守った立派な人間だったのだ。唯一、守れなかったものは、自分がいた家庭。必要経費だったのだろうが、やはり寂しかった。

だから私は最後にもう一度泣いた。神原大介と神原静の祝福を願って、そして今を紡いだ父を想って、虚構を見つめる第三者の視点は終わりを迎えた。

 

 

点数:95/100 文章:5/10 味:最高においしかった