思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

『終のステラ』感想

 

 

 

適当な話

全体として、非常に綺麗な物語であった。そのことが何よりも今は嬉しい。ここ最近、質は高く私好みの作品であったにもかかわらず、どこか致命的な点を見つけて消化不良感を感じるような作品が多かったのだ。その点本作は最初から最後までブレることはなく、幕引きについてもこれ以上なく精神の浄化作用は働いた。

物語を構成するものの多くはジュードとフィリアの旅路、それに伴う二人の交流だろう。最後に別れがあるとわかっていながら。どうせ最後には情が生まれて別れが惜しくなるのだ。そんなものは多くの人がわかることである。ゆえに絆の形成、それをいかに伝えるか、我々が受け取るか。正直なところこの長さの作品では少しそのあたりが弱くなってしまうのではないかと心配していたが、まったくの杞憂だった。

基本的に旅はフィリアと二人きりだ。道中他の生命体が現れるが、およそ知的生命と呼べるような行動はしないため、その他機械たちと同じただの敵である。長く険しい旅路では、時にフィリアを教育したり、時に怒ったり、はたまた仲間のように行動したりもした。その過程でジュードはこのアンドロイドには心というものが備わっているという認識を持つに至った。ただの人間では一緒に絆を育むことができました。良かったね、で終わるようなことでも、当然アンドロイドが相手となれば話は変わる。前提として心の有無の議論は必須課題となるし、そのうえで明確な定義を持ちながら相対していかなければ何も感じることはない。本作において主人公であるジュードが最初はアンドロイドの心を否定していたことは私としてはとても入りやすかった。だからこそ本作における人間らしさというものがジュードのフィリアを見た驚きを通じて私にも伝わった。不気味の谷に、落下する暇さえもなく私はすぐにフィリアを人間と認識するに至ったのだ。そこからは早い。ジュードとフィリアの旅はすでに二人の人間の絆を生成する過程でしかなかったからだ。だからこそ終盤でのフィリアの怒り、ウィレムかフィリアかの選択、こういった場面では涙を流さずにはいられなかった。

 

ウィレムの話

そう、そういえばウィレムという老人がいた。いかにもな風貌といかにもな計画。これこそフィリアを犠牲にして人類が進歩するような計画であるに決まっているではないか。

ウィレムはジュードにフィリアと対話をし、心を形成させることを望んだ。心とはすなわち人たる所以であり、つまるところウィレムはフィリアに人たるを望んだ。その過程でジュードはフィリアの人間性を認めたし、老人との敵対も起きた。そう、敵対したのだ。

「だが忘れるなジュード……その者は……どれほどの知性を宿そうが……エワルドのためのハダリーなのだということを」

ウィレムはフィリアの人間性をついぞ認めなかった。上記の言葉から察するに、強弱はともかくとしてなんらかの意志を感じる。人類の復興というかねてよりの夢は、それを支える意志も並みではなかったということだろう。あるいは幾年もの日々、薪に寝て苦い肝を舐めたその辛酸によるものだろうか。

 

娘の話

作中では何度も娘という表現が使われた。しかし最初フィリアを表現する言葉は愛玩用以外に思い付かないというものだった。

娘という表現はその者への強い愛情を表していると同時に、最初使われたこの愛玩用という言葉を否定しているようにも感じた。ただ、これをアンドロイドの術中に嵌っていると捉えることもできるのはなんと悲しいことなのだろう。人に愛され、共同体に潜入したアンドロイドが工作員として何か任務を遂行することは実に容易。だが、フィリアに限らずAe型アンドロイドをそういった目で見るのを私はしたくなかった。ウィレムの下で働いていた者たち、デリラ、そういったアンドロイドを見ているとどうしても、意志の強さに強弱があるだけでデフォルトの工作任務のような行動設定はされているとは思えない。無論、マスターと認識されている者に命令されればその限りではないが……。

ジュードは、最終的にフィリアが娘であることを認めた、否、望んだ。愛玩用などと考えることすら悍ましい、この愛する娘の名はフィリア・グレイだった……。

作中にはもう一つ親子関係に当たる人間とアンドロイドがいた。デリラとその父だ。ウィレム曰く、当時のデリラはひどい状態で、とても納品と呼べるものではなかったそうだ。正直なところ私はウィレムを悪人だとは欠片も思っていないので嘘をついているとは思いたくないのだが(もし仮にこれから言うことが事実だったとしても、外部情報だけで判断したためそう思わざるを得なかったためどちらにしろウィレムに悪意はなかったと考えている)、単純に戦闘に関して荒い部分があり、同様の戦闘をデリラも行っていた。そのため全身に傷がつき、製品不良とも言える状態となったのではないか。また納品時の精神の不安定性においては単純にフィリアと同様なんらかの蟠りが発生したのではないか。……そうでなくとも、私は、デリラの穏やかな休息を否定したくなかった。時に厳しくするのが親なのであれば、子が拗ねて口を利かなくなることなどざらにあるだろう。そうであった可能性に、私は賭けたいと思った。

 

総括

非常に私好みの展開で良かったです。特にラストのお墓は本当に良かった。死期を悟った自分が、何か言い残したことはないかと必死に言葉を探す。ここまでの旅で得たものすべてが走馬灯のように蘇り、同時に涙が溢れてきた。ジュードとフィリア、二人の絆は確かに届き、胸を震わせた。

アンドロイドとして、綺麗に人を描いたことが本当に素晴らしい。とても満足感の高い作品でした。

 

 

点数:86/100 文章:6/10 味:酸味、塩味