思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

『傾国令嬢』のお話(二回目

 

 

再読にあたって

はじめて読んだのが去年の12月あたり,2,3か月ほど前の話.ブログを読み返せば書かれているような気もするが,今になってもこの作品をもっと早くに読んでいれば......と後悔することがよくある.それだけ,この作品が私に与えた影響は大きなものだった.前回,ブログにて最終的な点数を91点とした.実は今回再読を決めるにあたって,この点数に納得がいかなかったということが大きい.もともと,あまりにも好きすぎるので,他作品よりも良く温めてから読みたいと思っていた.それこそ,2,3か月では短い.しかしまたこの感情を味わいたい(再読することで初見時とほぼ変わらぬ感情を抱けるであろうことは確信していた)と思い,とりあえず前回のブログを少し読んだ.するとどうだろう,私の魂の作品とも呼ぶべき作品であるのに,91点とは,少し低いのではないか? と.実際あの日のことを思い出すだけでももっと素晴らしい経験のしたはずなのだ.とはいうものの,一度つけた点数はそう易々と変更していいものでもない.しかし自分でつけた点数に納得ができない.ということで,今回の再読に至りました.

まず,結論から言えば点数は上げることにしました.とりあえず,95点,と.再読前は98点くらいつけてもいいと考えていたのだが,読み進めるうちに感情の幕に邪魔されて意識したくはなかった作品の粗,そして単純な詰めの甘さ,そういった点を考慮すれば流石にユースティアよりも2点高いのはやりすぎか......と.そうは言うもののやはり,感情という一点に関して言えば悪い点を無視してでも頂点に立たせたいとすら思える.もろもろを考慮した結果,この点数に落ち着いたという話.

 

それで

ただこの作品が好き.気味悪く笑うマリアも,なんでもできちゃうマリアも,性愛に溺れるマリアも,残虐な瞳のマリアも,鈍感なマリアも,ぜーんぶ,好き.

だから私は,この作品に溺れることしかできない.二度目の通読をつい先ほど終えたばかりだというのにすでにあの世界が恋しい.これは例えばさくレットのときに感じた寂しさ入り混じった読後の感慨というようなものとは違う.もっと,無意味であり直情的.心に絡まるように惹かれてやまない.

私の抱くさくレットへの思いはある種当然の帰結として挙げることのできる例だと言える.あの作品を否定してでも,愛しい人との触れ合いを,そう願っては決して超えることのできない壁を見つめて沈む.しかし傾国令嬢への思いはそうではない.そこにまだいたいという気持ちにまったくの意味がなく,この感情に物語的帰結要素が皆無である.

私は今から言うような区分,というか区分というもの自体相当に一般化しているものでもなければあまり使いたくないので飽く迄そういう感じ方をした,という程度の認識をしてほしいのだが,私という存在は本作において一歩隔てた場所にいたと思う.冷静に,感情的になっていたのだと思う.マリアはidealだった.またそこに付随する展開も同様,どちらも私にとってあまりにも高尚な存在となり果てた.たやすく触れることすら憚られる,頂に.だからこそ二回目の通読を始める直前に98点ほどの価値があると判断した.最初は冷静ではなかった.別に気付かなかったわけではない.この作品に存在するいくつかの粗に.しかしそれを認識することができなかった.なぜならその茶々が余計なものに感じてならなかったから.一心,この私の心へ一切の不和を感じない調和をもたらした作品に集中したかった.

ただ,ここで一つ注意してほしいのは,私が度々使用する「虚構の頂点」という言葉,それに関して本作は該当しないということだ.この言葉は竜姫ぐーたらいふ(2),Forest,そして穢翼のユースティアの三作にのみ,冠する資格がある.というのも,先に言及した「粗」,これは虚構の頂点を冠するにあたって端的にいうと邪魔である.無論傾国令嬢を評価するにあたって虚構として客観的に見ても素晴らしい出来であろうと思ったから,そして自分自身この上ない運命を感じたから今こうして短期間であるにもかかわらず二回目の記事を書いているわけだが,やはりそこには感情に依るものが大きい.私はこの言葉を使う際,可能な限り理性的でありたい.そして,粗が一定以下,もしくは認識するに値しない程度のものであることを踏まえて「隙のない作品」であることを求める.これは,ある種私が運命を感じ得るような作品ではそうそう起こり得ない.なぜならアメイジング・グレイス,冥契のルペルカリア,傾国令嬢等,何かしらの不満要素を孕んでいる.偶然か必然か,現時点では判断がついていないが,少なくとも現状好きが肥大化した作品は隙が生まれやすい.

私は酔い痴れた.この耽美なる世界とマリアの甘言に.蕩けそうなほど甘くて,けれど触れることのできない切なさで,わたしは狂ってしまいそう.大好きなマリアを求めて,でも届かなくて,だってこれは空想的虚構だったから.ファンタジーなんだよ.

狂った美とそれに伴う感情は虚構にのみ許された特権なのかもしれない,とは最近私が思ったことの一つだが,時を経るごとに実感を伴って正しさを信じられる.虚構にのみ許された特権,それこそが「ファンタジー」なのだ.そういう意味で,本作はファンタジーを絞りつくした正真正銘の空想的虚構なのだろう.

私は昔からファンタジーものが好きだったな.だから今も根底にある運命の動線はここに繋がっているのだ.