思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

『少女の望まぬ英雄譚』についてのお話

少女の望まぬ英雄譚 ※本編完結 (syosetu.com)

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天才とは,一体なんだろうか.本作においては主人公クリシェ・クリシュタンドが天才として,およびその頂点として描かれていた.歪な人間,異常者,狂ってる(ここ適当).彼女を示す言葉は数あれど,どれも普通ではないということを指し示す言葉であった.

天才と呼ばれる人間は,その多くが何か異常性を秘めている.こういった言説はこれまで虚構を摂取するにあたって何度も目にしたきたが,本作におけるクリシェはその極致とも言える存在だろう.人を殺しても何も感じず,ただ自らの追い求めるは一点の曇りなき子供.無垢を宿した理性の権化だった.無垢とは,少なくとも感情ではなくクリシェの持つ既に完成された究極の理性,その付随要素でしかない.

前回の記事,傾国令嬢の感想文にても話題に挙げたことだが,「世界を理解する」ということはまさしくこのようなことなのだと思う.クリシェ,そしてクレシェンタは生まれ出でたその瞬間から事実として世界を理解していたし,ヒトを認識していた.その理解をもって幼きままに自我を手にしてしまった彼女らは,やはり子供であった.

幼きままに手にした自我は早熟と言うにも早すぎる.その自我をもってして理性とともに相互的に補強しあったクリシェの残酷さに際限はないのだ.無垢であるとはつまり,人というものの心に触れた回数が少ないということであり,それは理性的な動物であり,だからこそただ直情的に冷静なクリシェが誕生したのだろう.

大人として,このようなクリシェに向き合ってくれた人がたくさんいたことは,クリシェにとって人生最大の幸福だったのかもしれない.ベリーと出会えたことを筆頭に,ただクリシェは幼かったのだと理解し,ある者は妹として,ある者は従者として,またある者は孫のように,クリシェを愛した.そうした環境で育ったクリシェはこれでもかというほどの愛を受けて成長した.皆はきっと,いつか心優しきヒトとなれるように,と.ただ,実際にクリシェの心は優しきものであったのは間違いない.かなり早い段階で,少なくとも身内を守るという点に関しては過剰なほどに尽くしていたし,それはついぞ壊れることなく,終幕までクリシェの存在を形成する一つの要素だったのだと強く実感する.

知らぬ者からすれば彼女はただの化け物であり,ある程度知っている者からすれば,悲しきモンスター.唯一,彼女の身内と判断された範疇の人々は愛すべき庇護対象であることを認識していたのだと思う.その穢れなき笑顔が崩れるところを見たくなかったから.実際に,読者である私自身読み進めるうちにクリシェに対してはどうしようもない愛情を抱き始めていた.たとえこの世の誰にも,ヒトですらなくても負けることのないクリシェであっても,否,だからこそその力を振るわせまいと.

しかしながら彼女の名は,後世にまで偉大なるアルベリネアとして語り継がれることとなった.少し嬉しいような,寂しいような,そんな気持ち.悪名ではない,それどころか戦いという点においてあらゆる方面において多大なる影響を与え,ずっとずっと先の世までその名を知らしめることとなった.普段ヒトを殺してもただの罪人となるだけだが,戦場でヒトを殺せば英雄.当時の者からすれば過剰に見えて,戦場であったにもかかわらず対外的に悪評を広めたのは実に悲しき,クリシェを愛する者たちにとって面白くないものであったと思う.ある意味で,クリシェはその強さのみで戦場に改革をもたらしたと言っていいのではないだろうか.結局のところ,クリシェのような強さを誇るヒトはおらず,さながら戦略兵器のようで.クリシェという事実上の戦略兵器,そしてジャレィア=ガシェア等の新技術を使った本当の新兵器.初めて見た敵には勝つ,というよりもただ殺戮を繰り返す悪魔だった.改革が当初反発を受けるのは当然,また時間によって浸透するのもまた必然.

本作の最初,説明の欄に

 クリシェ=アルベリネア=クリシュタンド――アルベラン王国将軍。
 当時追い詰められたアルベランを持久させ、その後の広範な版図拡大、大陸統一の中心となった人物。軍事史上最高の天才として語られ、彼女の魔術的発明は英雄の時代を終わらせた。その絶大な武勲と、現在にも伝わる彼女の魔術的遺産から、現在においても比する者なき英雄として広く知られている。
 反面、彼女が異常者であるという記述も散見され、当時の文献を紐解けばその冷酷さや無慈悲さが至る所に書き記されている。そんな彼女を冷酷なる殺戮者とする見方も多くあり、その実際は――

という文がある.私たちは,最初から知っていたことではあるが,”歴史”を読んでいたのだった.ある意味で,我々読者の視点と物語上の視点は同じだったのだろう.実際に本作は一人称視点での進行ではなく飽く迄三人称的表現に徹していた.これは今思えば単なる歴史書の一冊,それを読んでいただけなのだ.2年ほど前にもこういった三人称視点で進め,最終的にその意味を理解することができるという形態の作品を読んだ記憶がある(もののあはれは彩の頃。).作品をその登場人物の物語とするのではなく,あくまで第三者がその作品を読んでいるに過ぎない,それを実感したときなんとも名状しがたい清涼感に包まれる.

今まで読んでいた物語が突如,主人公(と認識していた人物)が見聞きした物語ではないと実感するのだ.そして暗闇に進むべき道を開拓していたのが,いきなりその暗闇の道中を俯瞰してみていることに気付く.ぼくは盤上の支配者だったんだなぁ.

ただ主人公の辿る道をそのままなぞるのではなく,歴史という大局的観点から切り取った一部でしかない.それは過去,当時生きていた人々の軌跡であり,意志である.それらを想うと,どうしても私は心がかき乱され,まるでその場に立っているようなありありとした感情の発露に見舞われてしまう.クリシェに先立ちこの世を去っていった者たち,特にこの上ない大往生を果たしたエルーガとガーレン.彼らが満足そうに今生を去っていく様はどれほどの寂寥感に満ちていただろうか.今思い返してもほのかな寂しさが香る.涙は出ない.決して悲しいことではないから.でも,ただ大切な人が一人,また一人と去っていくのを惜しむことは許してほしかった.

「......毎日のことだけれど。全く、こんなにしわしわになってもキスされるだなんて思っても見なかったわ」
セレネ゠クリシュタンドは呆れたように、今なお変わらない少女の挨拶にそう漏らし。
「えへへ、セレネはセレネですから」
幸せそうに少女の笑みで、当然のようにクリシェは返した。
「.....本当、お馬鹿は変わらないわね」

最後にはセレネも,当然と言えばそうだが,おばあちゃんになっていた.たしか,15で将軍となった.物語序盤から見ればそれよりもずっと前からセレネのことを見てきた.自分の視点が親のように思えたとか,そういう話ではない.純粋に100年近い年月の成長を見届けたという感慨深さ,時の流れという普遍的情緒における必然的帰着.それだけが私にとって何よりも重く,かけがえない.

異常者と呼ばれながらも大切な人たちからの愛に包まれ,正しく成長したクリシェが,戦いのない世で優しい少女として健やかに過ごす日々を願ってやまない.

大きな歴史の一幕として,無垢なる天才というものについて,時間という,ガラスのように繊細なテーマについて,これほど綺麗に作り上げられた虚構に,あらためて感謝を.

 

点数:89/100 文章:8/10 味:苦味,甘味,旨味