思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

『傾国令嬢 アイのカタチを教えて』についてのお話

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まず最初に、読んでなければ読んでください。とても良い作品です。

 

 

はい,ということで今回は傾国令嬢という作品についてお話していきたいと思います.本作,数か月前に発見して紹介文から非常に好みな作品だと思っていたものの,まぁあとでいいかという気持ちから読むのが最近になってしまいました.とはいえこの記事書いていることから答えは明白,すぐに読んでいなかったことをとても公開しました.いや,ここまで素晴らしい作品を消費するのを少しでも遅らせた,という意味でいいとも取れるが.まぁ見つけたときに読んでいればそのころからファンを名乗れたのに......! という気持ち(とはいえたいした時間差ではないので別にという感じではあるが.各メディア展開もないようであるし)の方が大きいのだが.

以前なろうでもっとも面白い作品はサイレントウィッチであると声高に叫んでいたことがある.現在でもその評は崩れたというわけではない.というのもサイレントウィッチと本作傾国令嬢の評価の関係は非常に難しいものがある.単なる作品の出来で言えばどちらもそう変わらないものであると感じている.では,双方の作品を別つ要素とは何か.

サイレントウィッチは主人公モニカ・エヴァレットの成長物語である.魔法以外何もできず,人に対してもさながら人に向けるような感情を持ち合わせていなかった彼女が自分の意志で,自分に不利であることを理解しつつ友人を助けたいと主張する様は感涙ものであった.感情としては王道,順当に人を揺さぶる利己正義の話であった.

一方傾向令嬢は......実のところこちらも主人公マリアの成長物語ではあった.全体を見通して,明らかに違う点ばかりであったが,この点に関してだけ言えば共通する.いろんなことが高水準なのに,人からの感情だけは鈍感というなんとも主人公チックなマリアは,不運にも幼少期,それもかなり早い段階で世界というものを理解してしまった.ここで言う世界の理解とは,簡単に説明してしまうと自身の考えを持つということに等しいと思って問題ない.しかしそれは最終的な結論であって,先にこちらを理解してしまうと世界の理解という表現について理解が及ばないかもしれない.そもそも私の考えでは自身の考えを持つということは,この世界そのものに自分なりの解釈を持つということであり,転じてその是非はさておき世界を理解したということを意味すると思っている.故にこそ,マリアはそのとき世界を理解したのだ.

閑話休題.なまじ自我の形成が早かったがためにマリアはついぞ精神的幼さを自覚する機会を与えられることはなかった.人を支配してしまえばそれでおしまい,一番簡単な方法であったし,マリアにはそれができた.マリア自身の性質と相まって精神的幼さの自覚はいっそう遠のいた.結局,成長と言える出来事はすべてが終わった後,唯一とも言えるマリア自身の失敗によってようやくその身に自覚したのだった.しかし遅すぎることはない.彼らには,人間と比べれば永久に等しい時間があるのだから.

双方単純な比較をすれば先に言った通りそう変わらないものであったと思う.しかしながら私が傾国令嬢の方が好きだと思う理由はひとえにマリアの耽美なる言動とそれを彩る作者の力量であった.

私は,この耽美なる作品について語るべき文章を何一つ持ち合わせていない.滔々と流れ出る数多の言葉,しかしそれらは独立していて,決して文章とは言えなかった.私が紡ぐのはただの言葉の寄せ集め,継ぎ接ぎの文章もどきを映し出すことだけなのだから.

愛を知る過程を,愛というものを,この作品では痛みを伴って教えてくれたけれど,私が知ることができたのは甘い愛に溺れることだけだった.だってマリアの囁く言葉はいつだってとても甘美だったから.でも,そうではなくただ一つ決して甘さに偏っていない愛があった.

「死ぬまで,貴方とマリアの関係は変わらない.いがみ合って,殺しあって,憎しみあって」

「知ってるよ」

呆れたように笑うアース.

そんな顔をさせたくない.

私は,わがままなんだ.

「......”公式上死ぬまで”,争い続けるんです」

私が言った言葉に,アースは眉を寄せて,それから目を見開いた.

「死者は人間ではない.どちらかというと,化け物寄り.だったら,王国より魔国に所属するのが当然ですよね」

「ああ,そうだな.死んだ奴が王国のそこいらで生きているのはおかしい」

「人間の寿命は普通,六十年? 七十年? わからないけれど,貴方はそれで死ぬのでしょう?」

「ああ,人間の王だからな.死なないとおかしい.だから,そのころには俺は死んでいるよ」

「あと五十年くらい? 長いようで短いわね」

「ああ,あっという間だろうな」

 

「......待っているから」

 

私はアースに背を向けた.歩みを再開する.次に彼と顔を合わせるのは,正面から.そして,ある時を境に,それらは隣になる.

そうだと,嬉しいんだ.

どれも耽美で,どこか歪な愛を育んだマリア.彼女の愛はついぞ修正されずきれいな形を保った.しかしながらそのどろどろに溶け合った甘美なる心にただ一つだけ生まれたごく普通の愛.それは化け物の巣窟に一点存在するヒトのようで,マリアの人間性のあらわれであった.散々ヒトであることを否定し,自身を化け物であると言い聞かせ続けた彼女がその最果てに見つけたヒト.

同性愛,異性愛,どちらも変わらず愛であり,その形態に差異などある筈もなし.本作においてマリアは同性を愛し,いつもそばに侍らせていたのは女だった.一方的に心を奪い,その実応えた愛はついぞなく.あるとすればミリアへの肉欲入り混じった親愛だろうか.

私は愛というもの,というより愛によって発生する関係,それは相互的であるべきだと思っている.愛を与え,愛を貰う.等価でなくともよい,相互的に与えたという事実が重要だ.しかしマリアは作中においておよそ愛を貰うという行為をしなかった.結局のところ,恋愛的愛はマリアには難しかったのだ.先述,アースと出会うまでは.

重ねて言うが,これは同性愛というものを否定しているわけではなく,今回この事象においてこうなったというだけの話.マリアは同性に与えた愛の返礼を受けなかった.故にこそ恋愛的愛は少なくとも彼女たちの間にはなかったのだと思う.だが,アースとの関係については話は別である.アースとマリア,この関係は対等だった.ともにいがみ合い,手を取り合い,またいがみ合い,最後にまた手を取り合った.その姿は熟年夫婦の貫禄すらも感じる.

マリアが作中で何度もつぶやく愛しているという言葉も,アースというヒトを前にした場合ではどことなく意味合いが異なっているように感じられる.

つまるところマリアの持っていた愛とはミリア,およびマリアの愛する者たちへ向けられた肉欲的親愛と,アースへ向けられたもっとも一般的な形で顕れた恋愛的愛の二つ,両者愛であっても客観的に受ける印象はかなり違う.でも,それでよかった.わがままなマリアが自身の本質を捨て去ることなど到底不可能だから.傲慢なマリアは,すべてが欲しいから.

数十年後,アースもミリアもヒトとして死に,どうか安らかに化け物として死後の生を謳歌せんことを願わん.

 

点数:95(2月19日変更前91)/100 文章:7/10 味:甘味,酸味少々,苦味少々