思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

さくレットとその追加シナリオについて

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ついに、来てしまった。いやぁ、新しいところなんて追加シナリオだけなのに、今年一の楽しみだった。そのためにさくレット再プレイしようかなという気持ちをなんとか静めてこの日を迎えたというわけだ。

結果は……という前に、再プレイした既存部分の話をしよう。

わたしは、ただずっとつらかった。知っているから、これからの行く末を。わたしたちの生きるこの時代は、この場所は、彼ら、彼女らによって守られたのだと。そんな気持ちが常時念頭にあった。PC版クリア時にあのかけがえのない日々と懐かしんだ頃が、今まさに目のまで繰り広げられているのだと。

大げさに聞こえるかもしれないが、事実としてわたしはずっとこんな気持ちであったし、些細なところで思わず涙を流してしまった。日常パートですらこんな調子なのだから、当然初見時大泣きしたようなところで落ち着いていられるわけがない。わたしは額面通りの事実を受け取って、涙を流したし、またその背景を夢想して涙した。

そして最後にやってくる別れ。起こることなんて何もかもわかっていて、背景も何もなく、ただ事実を受け取るだけの筈なのに、やはりというか、わたしは泣いてしまった。感想記事の方に所長との別れの部分をほぼ全文引用したことを覚えている。いつか自分が、ふと思い出したときにこれを読むことで感慨に耽ることができるように──と。実際は感慨というものに収まらないまさにそのパートをプレイしていたときと同様の気持ちになってしまった。何度読んだ筈かわからない文章、けれどそれはいつまでもわたしの心に巣食って。決して消えることのない傷を与えていた。

今回その傷がもう一度つけられることになった、わけではない。既に治りつつあったものの、この傷が完全に消えることなどあるわけもなし。古傷を抉るように、この物語はじわりじわりと再三わたしの心を傷つけるのだ。

当時の自分を振り返っても、涙の性質はきっと変わらぬものであった。だからわたしはいつか見たたった100年ばかりの時間遡行を想い、重ねて涙を流した。

やはり、ああやはり、この作品はわたしの中で永遠に生き続けることになるのだと、再認識した。

 

さて、ということで既プレイ感想はここまでとし、追加シナリオについての話をしようと思う。

結論から言って、蛇足だった、そう思う。無論わたしは本シナリオを読んで本編と変わらぬ涙を流したが、そうではなく、物語として考えて、明らかに蛇足なのだろうな、そう感じた。というのも、さくレット本編は所長と別れ、マリィと出会い現代の安寧を確認して終わる。これ以上ない幕引きであり、また彼らは今後どのような人生を歩むのか、そういったことを考えて楽し(苦し)むのも本作の楽しみの一つであると考えていた。また、2020年に戻ってきた司は所長たちを信じ、自らの人生を歩むことを心に決め、前を向いて歩き始めた。同様に所長、遠子、メリッサ、蓮等大正時代の面々も多少寂しさを感じつつその後の世界に貢献をするに至った。みんな、前を向いていたのだ。少なくとも作中の人物に限った話で言えば。

しかしながらわたしのようなプレイヤーはそうではない。2020年に戻ってきても到底前を向くことができず、うじうじしていた。この行為が所長たちへの裏切りにすらなりかねないのに、だ。後ろだけを見て、過去の幸せにしがみついて、現在から目をそらしていた。今回の追加シナリオはまさにそんな人たちに向けたような内容だったように感じた。だからこそ、わたしは最初に蛇足であると言った。物語的に考えて、存在する必要は皆無であるから。

だが、それでもやはり、さくレット本編をプレイした人ならばこちらもプレイしてほしいと思う。わたしはこの日常を目にするだけで名状しがたい気持ちに襲われたし、詳細は伏せるがラストについても本作に一定以上の感動を覚えた人なら感涙ものだろう。

 

P.S.

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このCG、かねてより舌出しなし差分をCS版で出してほしいと言っていたので、とても嬉しかった。ただ口を重ね合わせている差分もあるともっと嬉しかった。