思考溜り

その名の通り、ここには思考が溜る。どんなに崇高でも、下賤でも、わたしの思考の全てはここに溜る。

塩の混じった砂糖味

男が女を犯すという行為、わたしは強い嫌悪感を抱かずにはいられない。

それはそうだ。犯罪行為だ。

まぁ勿論現実での話ではない。創作物の話。

レイプは、男女間の性差を否応なしに感じさせる。それがとても気持ち悪い。ただ犯されてる人がかわいそうだとか感慨じみたことはここでは言わない。性差を感じることだけがわたしの心を果てしない不快感に塗れさせる。どう足掻いても変わらない、不変の事実。仮に性転換をしたとしてもわたしが男として生まれたという事実は依然として付きまとう。

だからだろうか、わたしは筋肉をつけることが嫌い。握力18ボール投げ10m未満。抑も上から投げることができない。そうやって、わたしが力の弱さを示すと決まってみんな笑いながら

「ホント力弱いなーwww」

と言う。それがわたしの弱さを認めて、周知の事実となっているようで嬉しかった。男女問わず、みんながわたしの腕力を最弱と認めて、まるで小動物をめでるかのようにかばってくれた。

きっとこれは男女の性差に対するわたしなりのアンチテーゼなんだろう。「男らしさ」、「女らしさ」を強調されるたびに反対のことをして、気付けば今のわたしが出来上がっていた。

でも、やっぱり女の子として生まれたかったなぁ。お洒落とかして、町を歩きたかった。今のわたしがお気に入りの服と言えば、かっこいいスーツだとか、インバネスコートを上に羽織ったりだとか。そういう服装の女の子は素敵だけど、それよりももっと、ステレオタイプな恰好をしたい。勿論今でもできるし、したこともある。だけどどこか、何か、違和感を感じてしまう。わたしが、どんなに綺麗で、細くて、白い体だったとしても、やはりわたしは男の子なのだと。気付く。気付いてしまう。気付かざるを得ない。だって男の子なのだから。

でもね、わたしは男の子であることを今すぐやめたいって、思ってるわけじゃない。勿論、できるならしたいけどね。男であることに満足はしてるよ。結局性差というものは事実として存在してて、その中には悪いのも良いのもある。極端な話、中身は男、体は女として生まれることができたら素晴らしい。なんて、創作上の話。

昨今何かと目立つクソ女さんがね……。女が性的傾向として持っているものの悪い部分をすべて集めてできたような人が良く目立つ。

いつかこんなことを言った。‘‘世間一般で言う女に対するステレオタイプを自分に求め、男に対するステレオタイプを女に求めてる。‘‘と。わたしはそれなりに「女らしく」在りたいかな……。別にそれを他人に押し付けるつもりはまったくないけど。あ、でもクソ女さんみたいにはなりたくないね……。

はぁ、可愛くないりたいよ。男のままでも、女になっても。